平成24年年末

 拝啓 師走の候 皆様におかれましては、益々ご清祥のことお慶び申し上げます。また平素より、当山に対しまして格別のご支援・ご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
 昨年12月1日に、愛染明王が還着されました。それに伴い、本年1月11日より4月30日までの111日間、寶積院住職が愛染明王を本尊とする修行をし無事に成満することができました。修行期間中には、多くの檀信徒の皆様に、愛染明王のご宝前にお供えをして頂きました。そのお下がりを行者である寶積院住職が食し、命を繋ぎながら修行を続けたことは、仏教の一つの姿だと思っております。
 私たち僧侶が修行を出来るのは、それを見守り、支え、見届けてくれる檀信徒の皆様の姿があるからこそです。本年は、檀信徒の皆様に支えられることによって、修行することが出来る僧侶の姿をお見せし、そこから何かを感じて頂けた年であったと思います。
 形として伝えるのは、難しいことではありますが、ご来寺の折には、心を静め、研ぎ澄まして頂き、何かを感じて頂ければ幸いです。
 寶積院住職も修行を通して、たくさんの感謝すべきことに出会えた年であったと申しておりました。
 僧侶が皆様の事を真剣に祈り、そして皆様に支えられる。そんな場所に当山を出来れば幸いに思います。
 本年も皆様には、大変に感謝をいたしております。
 末筆にまりましたが、皆さまどうぞお体にご留意ください。
 新しい年が、皆さまにとり困難を乗り越えたところにある、かけがえのない時間になる事を心より祈念いたしております。
青蓮寺 住 職 服部 全弘
寶積院 副住職 服部 全志


平成24年12月

拝啓 月迫の候 皆様いかがお過ごしですか。年明け1月の初大師では、久しぶりに青蓮寺住職がお話しします。住職在任50年を振り返り、感謝と困難と喜びを語ってくれるはずです。住職は来年で満73歳。お檀家さんや信者さんと向き合い、寺を発展させ運営していくこと。それは、困難の連続であったと思います。僧侶という一人の人の生き方に思いを馳せて頂ければ幸いです。
平成24年11月

拝啓 惜秋の候 皆様いかがお過ごしですか。
実は、9月9日〜10月29日まで50日間また修行をしていました。今年は良くやりました(笑)。前半は愛染明王を拝み、後半は如意宝珠を拝む修行をしました。如意宝珠についての話は長くなるので別の機会に。真言密教では、如意宝珠を拝むのは秘法中の秘法です。如意宝珠について勉強し拝むことにより、今まで分からなかった事が分かる様になり、理解が浅かった事の理解が深まります。11月1日に奈良県宇陀市にある室生寺にお参りに行ってきました。別名女人高野とも言われます。開創は奈良時代。空海が中国から持ち帰った如意宝珠を埋めた山、如意ヶ岳があります。多忙な合間ではありましたが、4時間その空間に佇んできました。皆さんにとって大切な場所はどこですか?
平成24年10月

拝啓 錦秋の候 皆様いかがお過ごしですか。
猛暑や激しい風雨を乗り越え、ようやく「錦秋」といった季節の挨拶が使える頃となりました。体が少しホットしているのを感じています。私たちは古来より自然の出来ごとや人の営みを観察して、未来を予測する術を得ようとしてきました。天気予報や地震速報しかり、経済や円やドルの為替変動もしかりです。天気予報は、あくまでも「予報」なのですが、外れるとテレビ局にはクレームが殺到すると聞きました。先々を予測している訳で、完全にその予測が「当る」訳ではありません。皆さんは考えたことがありますか。自分が明日生きているという事を誰も証明してくれないことを。私たちは、明日生きている保証が無いのに、明日や明後日の予定を約束しながら生活をしています。先々の約束が沢山入っている人は、それだけ空手形を出している訳です。そして、予報や予測が外れるとクレームを言ったりします。生きるって不思議な営みですね(笑)。
平成24年 9月

拝啓 爽涼の候 皆様いかがお過ごしですか。
今月の上旬に参拝者に布教をする為、高野山に一週間ほど詰めてきました。授戒堂で阿闍梨を務めると共に、金剛峯寺の新別殿・奥の院の茶処でお話しをしてきました。高野山に居る間は、夜に奥の院にお参りに行く事にしています。
もう何年も前になるのですが、奥の院御廟の前でお百度参りをしている女性の方に出会ったことがあります。寒い時期でしたが、裸足になり直向き(ひたむき)に懸命にお参りをしていました。ご廟のお百度石は、お大師様に向かって右方向30メートルの所にあります。往復60メートル。お百度は108回しますので、約6400メートル歩く事になります。ずっとその直向きな姿が気になっていて、いつかは自分もと思っていました。
今回の廟参で閃きがあり、お百度参りしてきました。準備も無く突然始めてしまいました。奥の院の地面は、いつも綺麗に掃き上げられていいます。素足でも安心。まず、その事に感謝です。小さな四国遍路を歩いている気持ちになりました。お大師さまの心の中でお参りできました。
平成24年 8月

拝啓 暮夏の候 皆様いかがお過ごしですか。お寺は、お盆シーズンを終えたところです。お盆は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道の内、餓鬼道に輪廻した魂の救済から始まった、先祖や有縁の方々の供養の行事です。私たちは死を体験して人生に活かすことは、残念ながらできません。そこで、大切になるのが、近しい方々の死に接することになります。亡くなることを忌み嫌うのではなく、必ずあるべきこととして、考え見つめる事はとても大切なことです。人は、誕生してから様々な事を学び反復練習して成長をしていきます。ですが、幾つかの事柄は、実際に体験したり、練習したり出来ません。その一つである死を見つめる事は、如何に生きるか!と言うことに繋がります。皆さんは、死をどの様に見つめていますか。
平成24年 7月

拝啓 猛暑の候 皆様いかがお過ごしですか。私たち僧侶は、修行に入ると食事が精進になります。精進では、肉・魚・卵(乳製品を含むか含まないかは解釈が分かれます)の動物性の食べ物は口にしなくなります。人は、何かを毎日続けていると、それは良し悪しではなく習慣となり、当たり前のこととなります。この修行の精進は、普段の習慣を変えることに繋がっています。当たり前に食べていた食物を、当たり前ではない状況にして、食生活を考え直しているのが修行です。食物から栄養を取ることによって私たちは生命を維持しています。この世に存在する動植物は、太陽の恵みであれ、雨であれ土であれ、自分以外から栄養を吸収して、自身の生命を育てたり維持したりしています。皆さんは、何を思いながら食べ物を口にしていますか?
平成24年 6月

拝啓 麦秋の候 皆様いかがお過ごしですか。当山の写経会は先月400回目を迎えました。33年と4か月続いてきたことになります。この度、写経会に参加の信者さんからお申し出があり、硯を綺麗に洗って頂くと共に箱を新調して頂きました。33年間で初めての快挙です!(笑)それに伴い筆の扱いを変更いたします。今までは当山で用意していましたが、これからは出来る限りご自身で筆をご用意下さい。(My筆の持参をお願いします)当山で使って頂いている筆は、一本500円にて販売いたします。忘れてしまった場合の為に、貸し出し用も用意しておきます。筆の管理が難しかったので、ご理解とご協力をお願いいたします。写経会は、参加される方があって初めて継続できます。皆様のお力添えを頂きつつ、気持ちの良い、心に響く写経会を目指していきます。
平成24年 5月

拝啓 万緑の候 皆様いかがお過ごしですか。私の愛染明王還着に伴う修行も4月29日に結願し、翌30日に全ての修行日程を無事に終える事ができました。百十一日間に及ぶ修行を支えて下さった檀信徒の皆様には、深く感謝いたします。
修行期間中に愛染明王様にお供えをして下さった方々は、のべ百二十数名。お供えの物品の種類は、のべ約400種類。総個数は、数えられないほど頂きました。そのお供えのお下がりで、私の生を支えることが出来たことは、言葉に尽くせぬ想いがあります。4月8日にも結願文を皆様に披露いたしましたが、4月29日の最終的な結願文を5月の写経会のお話の折に披露させて頂きます。今回の修行の結末と、結末から始まる更なる一歩をお見届け下さい。
平成24年 4月

拝啓 桜花の候 皆様いかがお過ごしですか。
私の愛染明王還着修行も残すところ30日弱となりました。4月5日の朝食から9日の朝食までの丸4日間断食をしての修行となります。4月8日には、89日目を迎え愛染明王の89年振りの還着に因んだ日となり、今回の修行の節目を迎えます。
修行は29日まで続きますが、ここで節目として一度修行の結願をします。行法の中で結願作法をします。この作法は、何故この修行を始め、どのような気持ち続け、そして結願に至るのかを本尊様に披露(報告)するものです。その結願の文を参列の方々にも聞いて頂けるように致します。そこには、皆様の心に届く何かがあると信じます。
平成24年 3月

拝啓 迎梅の候 皆様いかがお過ごしですか。
愛染明王還着本座に伴う修行も65日を過ぎ、トータル110日の半分を超えたあたりです。皆様から愛染明王さまにお供えを頂き、そのお下がりのみを食していますが、今のところ飢えることなく日々過ごしております。感謝です。
皆様から修行しているところを見学したい、一緒に拝みたいとのご要望をお聞きしています。皆様の知的好奇心?におこたえし、3月21日と4月8日の月例行事の時にご来寺して下されば、修行の見学・愛染明王さまの拝観等していただけることといたします。両日とも午前11時から11時半ころまでに本堂にどうぞ!12時過ぎに行法を終える予定です。特に4月8日は、修行開始から89日目(愛染さまは89年振りに還着)を迎え、今回の修行では山場となります。断食も3日目に入っている予定なので、修行僧としても一見の価値があるかも知れません。私の姿も少しだけ、有り難く見えるかも・・・(笑)

※修行の見学等は静かに願います。
平成24年 2月

拝啓 暮雪の候 皆様いかがお過ごしですか。
1月11日から始めた愛染明王還着本座に伴う修行ですが、早いもので30日を経過しました。2月14日からは五穀を断ちます。食事の回数は、二食(にじき)と言って、一日二回。全部で110日間の修行ですが、一日一回(一座と表記します)愛染明王の前に座り愛染法という密教の法を修行します。行法(ぎょうほう)と表現します。法を行ずることを修行と呼びます。食事制限がメインではなく、行法が修行のメインです。行法をする為に、生活を律する必要があり、それが精進料理や五穀断ちや二食や一食や断食へと繋がります。110日間で110座の行法をします。3月19日〜4月5日まで一食。4月6日〜8日までの3日間は断食。4月9日〜29日までかけて徐々に食事の回数などを増やしてシャバ世界に復帰する準備をする予定です(笑)。
2月14日から4月8日までの55日間は、皆さまが愛染明王様にお供えしてくださった物のお下がりのみを食事に充てます。お供えを宜しくお願いいたしますね(笑)。
平成24年 1月

 拝啓 新春の候 皆様いかがお過ごしですか。
昨年12月1日に愛染明王が当山本堂に還着本座されたのを受け寶積院住職は、愛染明王を特別に拝む修行をいたします。1月10日から4月29日までの110日間。1日1回約3時間かけて愛染さまの前で修行いたします。期間中の食べ物は精進(肉・魚・卵・乳製品等は食べません。)特に2月14日から4月8日までの55日間は、五穀(米・大麦・小麦・大豆・小豆)も断ちます。
今回は皆様にお願いです。この五穀断ちをする55日間は、皆さまが、愛染明王にお供えして下さった物のみを食べて修行に臨もうと思います。お気持ちの有る方は、是非お供え下さい。もちろん精進で五穀抜きのお供えを歓迎いたします。(笑)。
皆様のお気持ちによって生かされて修行という時間を過ごします。私の修行が皆様のご利益に繋がりますように!
平成23年 年末

 拝啓 師走の候 皆様におかれましては、益々ご清祥のことお慶び申し上げます。また平素より、当山に対しまして格別のご支援・ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 皆様にご協力を頂いていた鎌倉時代造立の愛染明王像の修復は、本体・台座共に無事完了し、12月1日に『愛染明王還着本座法会』を厳修し当山本堂にお迎えすることが出来ました。当山檀信徒の皆様の心の表れと深く感謝いたしております。
 1923年の関東大震災で被災し倒壊した本像が、約90年の月日を経て、東日本大震災の年に復活をされたことは、何かしらのメッセージがある様に思えてなりません。是非、愛染さまをお参り頂き、それぞれにそのメッセージを受け取って頂ければ幸いに思います。
 愛染明王還着法会の様子は、12月27日午後10時25分からNHK教育テレビ「直伝和の極意」の中でも紹介される予定です。愛染さまのお陰で、当山も全国放送で全国デビューを果たします(笑)
 当山は、この寺を思って下さる全ての方々に感謝を致しております。
 時節柄、どうぞご自愛ください。
 来たる年が、皆さまにとり困難を乗り越えたところにある、かけがえのない時間になる事を心より祈念いたしております。
平成23年 12月

拝啓 初冬の候 皆様いかがお過ごしですか。今月1日に無事に修復を終えた愛染明王像を本堂にお迎えすることが出来ました。本堂も一部修繕し、スッキリと綺麗になったと思います。鎖大師様・愛染明王様をお参りかたがた年末年始には是非ご来寺下さい。12月27日(火)22時25分よりNHKのEテレ(教育テレビ)の「直伝和の極意」で愛染明王様還着法会の様子が紹介される予定です。こちらも是非ご覧頂ければと思います。愛染様は、足掛け4年の修復期間の中、最初に世の中に姿を現されたのは日本の一等地銀座です。その後、鎌倉ケーブルテレビでも紹介され、今回は鎌倉国宝館の特別展に出陣、満を持して当山にお戻りになられました。NHK教育テレビは全国放送となります。この年末年始は89年ぶりに青蓮寺で過ごされます。正に、お正月を故郷で過ごす!事となります。今年もあと僅かです。来年が皆様にとり、度重なる困難を乗り越えた上での、二度とない人生の一ページになる事を心より祈念いたしております。
平成23年 11月

拝啓 深秋の候 皆様いかがお過ごしですか。当山所蔵の愛染明王像(鎌倉時代造立=運慶・快慶の流れを汲む慶派の仏師造立)の帰還ですが、『愛染明王還着本座(げんじゃくほんざ)法会』として執り行う運びとなりました。還着本座とは、元の場所に還って来て座ることです。NHK教育テレビその他のメディアも取材に入る予定です。皆様おめかししてお出かけ下さい(笑)。新しい仏像をお迎えすると「開眼法会」いわゆる魂入れを行いますが、当山は、この愛染明王は、鎌倉時代より関東大震災を乗り越え、700年を超える月日を生き続けていると考えております。法会の内容は、当山に約90年ぶりに還着本座されるお祝いと、過去・現在から未来に対する「願い」の法会となります。時には、自分の寿命を超えた先の時代に、何かを願うのも素敵かもしれません。そんな時、皆さんは、何を願われますか?
平成23年 10月

拝啓 爽秋の候 皆様いかがお過ごしですか。東京藝術大学で修復をしていた当山所蔵の愛染明王像(鎌倉時代造立)ですが色彩も含め無事に完了いたしました。多くの方からお志を頂き、為し得たことに深く深く感謝をしています。現在は、10月15日〜11月27日まで鎌倉国宝館で開催される特別展「鎌倉×密教」に出陣されるため、同館に安置されています。台座から後背までの高さが約2メートル10センチ。1923年の関東大震災で倒壊し、89年ぶりのお姿復活となります。青蓮寺には、本年の12月1日に帰られます。檀信徒の皆様にも是非一緒にお迎え頂ければと思います。自分の一生という時間では叶わぬ想いが、やく90年の歳月を得て成就するということも世の中にはあるのだなぁ〜と。皆さんは、自分が亡きあとに引き継ぎたいこと、叶って欲しいことに想いを馳せたことがありますか?
平成23年 9月

拝啓 新涼の候 皆様いかがお過ごしですか。8月の末に、勧学会(かんがくえ)という学問系の修行のシメで高野山へ行ってきました。講士(こうじ)という言わば先生役です。勧学会は、初年目、二年目、参年目とあり、私の場合は始まりから終わるまでに、約12年の歳月を費やしました。皆さんが12年という歳月にどんな感想を持たれるか分かりませんが、結構早いです(笑)。12年前に、掃除やお茶汲みから始まった修行は、最後に先生となり節目を迎えます。(もちろん勉強も修行もします。)12年前に同期12名と始まった修行ですが、ここまでたどり着いたのは、今のところ私のみです。いろいろな想いをしました。人には、助けられましたね。しかも多くの方に・・・。一生懸命に修行すること、ご褒美で良い出会いが頂けるような気がします。人は独りでは生きられない!と言います。皆さんは、生きてこられた時間の中で、どんな人と出会い、誰に助けられ、誰を助けましたか?
平成23年 8月

拝啓 暮夏の候 皆様いかがお過ごしですか。山門と本堂の標榜(ひょうぼう=看板)が、新調されました。当山の総代のご寄進です。山門が「高野山真言宗 準別格本山」と「飯盛山 仁王院 青蓮寺」、本堂は、「鎖大師 遍照殿」というものです。参拝の折に是非、立ち止まってご覧下さい。また、横浜のお檀家さんに、机18台と椅子50客を奉納頂きました。これにより、法事後のお茶やお凌ぎ(食事)等も、机と椅子で出来るようになりました。足の痛い方も、そうでない方にも朗報と思います(笑)。いずれも感謝です。標榜が新しくなり、その肩書きの重みを再認識しています。机や椅子という現代社会にとっては、もはや当たり前の物も、奉納頂くと、改めて利便性や快適に時間を過ごすこと、「心地良い」ことの重要性を考えます。皆さんは、ご自身の人生で何を背負い、どんな時に心地よさを感じますか?
平成23年 7月

拝啓 極暑の候 皆様いかがお過ごしですか。今月の初旬三泊四日で、宮城県南三陸町に行ってきました。震災後、四回目の被災地支援となります。各種メディアでは、瓦礫の撤去が進まない!と言われます。被災者にとって瓦礫は、自分たちの家だったものや家具や想い出の品であり、車です。また、地元の方々にとって瓦礫の整理は、まだ見つからない人の捜索でもあります。毎日毎日、必死に親族を探す家族がいます。瓦礫の撤去は、細心の注意を払いながら慎重に進められています。一歩一歩。確実に。
平成23年 6月

拝啓 芽桜の候 皆様いかがお過ごしですか。去年高野山で修行をした学会(がくえ)三年目の続きで、高野山の竪精(りっせ)という伝統行事に出仕してきました。伽藍の山王院(さんのういん)で行われ、夕方6時位から次の日の朝6時位まで続く儀式です。その時間の間は、永遠と論議が行われています。山王院は、高野明神さんを拝む場所です。高野明神さんのお社は、お大師様が高野山を開創された時に、最初に建立した建物です。お大師様は、他の神社をとても大切されていた訳です。この論議は、明神様にお聞かせするものです。高野山では、明神様に認められて始めてその階位を登ることが出来ます。日本では、古来より神仏を分け隔てなく拝んできました。なかなか良い習慣に思えるのは、私だけでしょうか。
平成23年 5月

拝啓 芽桜の候 皆様いかがお過ごしですか。前回のハガキから今回までの間に二度、被災地に行ってきました。南三陸町に炊き出しと別の日に、盛岡・大船渡・仙台に支援物資の搬入に伺いました。60日以上体育館等でプライバシーの無い不自由な生活をしている方々です。盛岡・仙台の都市部では、生活は日常を取り戻しているように見受けられます。沿岸部の被災地では、現地の要望にあった支援が必要です。それ以外の東北地域(日本海側も含む)では、被災しなかった方々が観光でもなんでも良いから、東北を訪れ宿泊し、買い物をして楽しく過ごされていることを望んでいます。東北新幹線も復旧しました。私たちが、個々に東北エリアに行く旅行を企画し、実行するのも支援になります。名産品・美味しいものも沢山あります。皆さんも、私と一緒に東北の『通』を目指しませんか?
平成23年 4月

拝啓 桜花の候 皆様いかがお過ごしですか。3月28日の夜から31日にかけて東北の被災地に支援物資の搬入・炊き出し、被災され亡くなった方々のご供養をしてきました。陸前高田・気仙沼・石巻・南三陸をまわってきました。現実に起きた事とは思えないくらい醜い災害です。すでに被災者格差のような状況が起きていて、比較的大きな避難所には物資が届き、小さな集落で津波の被害を受けながらも自宅避難している方々には、物資や食糧が上手くいきわたっていない状況が発生しています。そんな中、避難所で生活している中学生や高校生は実に良く働いています。小さな子どもたちは、楽しいことを見つけ遊ぼうとします。ある町では、水道の復旧に2年。電機の復旧に2ヶ月以上かかると言われます。被災地の皆さんは、日本中から世界からの支援に心から感謝をしています。
平成23年 3月

拝啓 啓蟄の候 東北関東大震災に長野北部・中越の地震、昨夜は静岡でも大きな地震が起きました。皆様、無事にお過ごしですか?親族・友人・親縁の方々の安否は確認出来ましたか?心配が続きます。この度の震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。被災地に対し高野山真言宗も青蓮寺も出来るだけの支援をしていきます。今回の自然の力=災害は、人の想定を超えています。人の想定する事は、あてにならないということです。私は、テレビで被災地の様子を見ていて復興は無理かも。と考えてしまいました。でも私が勝手に想定する「無理かも」はあてになりません。人の考えや行動も想定を超えるはずですし、越えて良いはずです。人の善意や優しさが、人の想定を超えて被災者を助け、復興させていくことを強く信じます。
平成23年 2月

拝啓 暮雪の候 皆様いかがお過ごしですか。本年、青蓮寺は開創1192年目を迎えました。当山には、国指定重要文化財として鎖弘法大師像(鎖大師)、螺鈿(らでん)入り大壇・礼盤(だいだん・らいはん=密教の法具)。南北朝時代(1300年代)の不動明王像・十一面観音像・五智如来像(金剛界曼荼羅の五体の如来像)・薬師如来像に日光月光菩薩と十二神将の脇侍眷属などが所蔵されています。その他、鎌倉市内に現存する最古の両界マンダラ図、修復中の鎌倉期の愛染明王像など、実は歴史のある寺宝がたくさんあります。そんな事も踏まえて、3月に当山の五輪塔童子の生みの親であり、東京芸術大学大学院教授の籔内佐斗司先生にご講演頂きます。先生は、仏像の保存修復学の専門家であり、また現在の彫刻界のスーパースターと言っても過言ではありません。是非、この機会に先生のお話をお聞きし、興味深く楽しいひと時を過ごしていただければ幸いです。
平成23年 1月

拝啓 初春の候 年が新しくなりましたね。皆様いかがお過ごしですか。
今年の初大師のお話しは、寶積院住職で、青蓮寺副住職の私がいたします。
テーマは「高野山での修行を終えて」〜高野山真言宗のお坊さんのキャリアアップ!〜です(笑)。去年の秋に、約1ヶ月間高野山に籠もり修行をしてきた実体験を元にお話しをします。世間的には、「お坊さん」と一括りにされてしまいがちです。でも日本の仏教系の宗派はたくさんあり、それぞれに教義があり違いがあります。端的にいうと、お坊さんに成る成り方が違います。一般的なイメージの修行をする宗派もあれば、修行をしないでお坊さんになる宗派もあります。良し悪しではなく、教義によって違いがあります。今回のお話しは、高野山真言宗バージョンの修行のお話しです。門外不出の、高野山の歴史と伝統と格式の凄味もお伝え出来ればと考えています。皆さん来て下さいね!
平成22年 年末のご挨拶

拝啓 師走の候 皆様におかれましては、益々とご清祥のことお慶び申し上げます。また平素より、当山に対しまして格別のご支援・ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
皆様にご協力を頂いている鎌倉時代の愛染明王像の修復は、本年5月に体本体の修復を無事に終え、現在蓮華座(台座)を制作中です。来年の初夏には完成し、当山に約90年振りに御戻りになります。完成までもう一息です。皆様のご協力に感謝すると共に、さらなるお力添えをお願い致します。
そして今年は、本堂前の香炉に屋根が架かりました。当山の檀家総代の一代寄進(一人で寄進すること)です。ご総代のお気持ちに心から感謝をしております。正式には、香炉堂という名称の御堂です。境内の風景も格段にグレードが上がり、雨の日にもお線香を点香してお参りして頂けます。お線香は、本尊様や亡き方の魂に良い香りを楽しんで頂こうという意味や、そのたなびく煙に乗って拝みたい仏様が目の前までやって来てくれる意味、その香りで自身や空間を清める意味があります。是非お線香を点香してお参り下さい。
当山は、この寺を思って下さる全ての方々に感謝を致しております。
時節柄、どうぞご自愛ください。
来る年が、本年にも増して皆様にとり、かけがえのない時間になる事を心より祈念いたしております。
平成22年12月

拝啓 月迫の候 皆様いかがお過ごしですか。恐ろしく早い勢いで、平成22年も終わろうとしています。私の実感と体感速度ですが・・・。本年もいろいろな事がありました。嬉しいことに悲しいこと、そして雑務が山盛りでした(笑)。生きる為には、食事をし、排泄をして寝ないといけません。着る物も必要だし、たまには美味しいものを食べに行ったりしてみたい。それらを満たす為には、元手になるお金が。お金を得る為には、仕事をしなくては・・・。仕事には時間が必要で、働く為には、休息も必要です。家族と生きる為には、家族との時間も必要です。自分を生かすのは、けっこう大変ですね。でも良く考えてみれば、自分の人生に、自分の時間ではない時間はありません。子どもには子どもの人生が、病気の方には、病気の方の人生があります。今を生きる全ての方が自分の時間を生きています。うーん。今年も我ながら、反省の多い一年でした(汗)。皆さんは、どんな時間を生きられましたか?
平成22年11月

拝啓 錦秋の候 皆様いかがお過ごしですか。私、寶積院住職ですが、無事に約一ヶ月の高野山での修行を終えて帰ってまいりました。沢山のご声援をありがとうございました。そして、香炉堂が完成し、10月28日に落慶法会を当山総代・世話人参列のもと厳修いたしました。素晴らしい香炉堂が建立されましたので、皆さんも是非お線香を点香(てんこう)してお参り下さい。お香の意味ですが、本尊様や亡き方へのお供えです。出来るだけ良い香りを楽しんでもらう事が一点。そして、そのたなびく煙に乗って本尊様や亡き方の魂が近くに来てくれるという信仰が有ります。皆さんは、どんな仏様を呼び、どなたの魂を近くに呼んでお参りをされますか。
※香炉堂のお線香は、1本10円で用意いたします。香木の白檀の含有率の高いお線香を用意しています。
平成22年10月

拝啓 錦秋の候 皆様いかがお過ごしですか。このハガキは、9月初旬に書いています。高野山に修行で籠もっている為、10月号は、前もって書きためてあった訳です(笑)
先月、当山の五輪塔童子像が携帯の待ち受けお守りとしてデビューした事を書きましたが、実は『心願成就お守り』もあります。[携帯で【青蓮寺 お守り】と検索]このお守りを制作したのを機会に、当山のお守り(従来のお守りも携帯のお守りも含みます)の授与料の一部が、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン(NGO組織)を通して、世界の子どもたちの支援に活用されることになりました。自分の願い事が、世の中の為に成るって素敵な感覚ではないですか。この仕組みを思いつき、実行に移すのに9年の歳月が掛かってしまいました。ですが、この考え方は、世のお寺や神社の先駆けであると思います。皆さんが、欲深く沢山の願い事をすると、より多くの子どもたちの支援に繋がります(笑)。青蓮寺では、皆さんの『欲』が肯定されています(笑)
平成22年9月

拝啓 新秋の候 皆様いかがお過ごしですか。本堂正面にある大きい香炉に屋根がかかる事になりました。香炉堂と言います。青蓮寺のご総代の一代寄進(一人で全て寄進すること)によるものです。総代ご本人が、四国八十八か所霊場会公認【先達】になられた記念の事業となります。宮大工さんによる本格的な木造建築です。完成すると、雨の日も含めていつもお線香をお供えする事が出来るようになります。公認先達は、凄いことで神奈川県内でも数人しかいません。何度も何度もお四国を巡礼されたお気持ちと、当山を少しでもお参りしやすいお寺にしようという心意気に、当山と致しましても、深く感謝を致しております。また、私(寶積院住職は、青蓮寺の副住職)が高野山に修行に行く話を書きました所、たくさんの方に激励の言葉をちょうだいしました。嬉しかったです(笑)。香炉堂が完成する時に修行の為に留守なのが心残りではありますが、しっかりと修行に励んで来たいと思います。それでは、行ってきます(笑)。
平成22年8月

拝啓 秋暑の候 皆様いかがお過ごしですか。私、寶積院住職ですが、九月上旬から十月中旬にかけて約一ヶ月間、高野山に籠もり修行をする事になりました。勧学会(かんがくえ)の三年目に出仕します。勧学会は、初年目・二年目・三年目とあり、初年目・二年目は二年間続けて出仕して、三年目は、二年目が終了してから十年以上の期間が経ち許されて始めて出仕することが出来ます。この三年目が終わると、十年に一度高野山で厳修される学修潅頂(がくしゅうかんじょう)を受ける有資格者となります。学修潅頂を終えると傳燈大阿闍梨(でんとうだいあじゃり)位となり高野山真言宗の一つの最高位に着くことになります。少数エリートコースです(笑)。勧学会は、途中で高野山から下山する事も欠席することもいかなる理由があっても認められません。食事はもちろん精進で、肉・魚・卵などは食べられません。毎日、奥の院と伽藍をお坊さんの正装で徒歩でお参りします。高野山では下駄(げた)が正式です。私の寝起きするお寺から奥の院までは、片道4キロほど。その他にもしなければいけない事が、諸々です。俗世間にすっかり染まった私を、ちょっと引き締めに行ってまいります(笑)
平成22年7月

拝啓 炎暑の候 皆様いかがお過ごしですか。私たちは、人間です。人間は、男と女の二種類に分けることが出来ます。生物学的にいうと、この男女の差は、非常に微々たるものだそうです。日本語には、「男らしい」とか「女らしい」という言葉があります。心理学的には、男女の中には、必ず女性性を内包し、女性の中には必ず男性性を内包していることになっています。そもそも、私たちは人間です。皆さんの中には、どんな男性らしさがあり、どんな女性らしさがありますか?
平成22年6月

拝啓 季節は梅雨へと向かっています。皆様いかがお過ごしですか。先日、電車の中で缶コーヒーRootsの広告があり、そのキャッチコピーに『花は、根が咲かせるんだよ』とあるのを見つけました。なかなかうん蓄がありますよね。世の中には、根の無い花ってあるのでしょうか?人の人生も、才能が開花した。とか、念ずれ花開く。なんていう表現で言われることもあります。人の人生を花に例える訳です。人を花に例えるなら、人にも根がいりますよね。そして、しっかり根をはる為には良い土が。成長する為には、それぞれに適した栄養や気温や水分がいります。過酷な岩肌で咲く花もあれば、手を加えられた温室で、綺麗な花を咲かせる花もあります。皆さんにとっての土や栄養や水分とはなんですか?そして、皆さんの根は何ですか?お寺には、良い養分があるかもしれません(笑)
平成22年5月

拝啓 万緑の候 皆様いかがお過ごしですか。『支離滅裂に生きる』と聞くといかがですか?中世フランスの哲学者モンテーニュは著書『エセー』の中で、「まったくもって、人間とはおどろくほど空しく、変わりやすく、うつろいやすい存在なのであり、人間に対して、確固とした一律の判断を立てるのはむずかしい」(宮下志朗訳)と言い、文章中で、人の首尾一貫性の無さを礼賛しています。また、宗教人類学者の植島啓司氏は、「ひとりの人間を、をの生活の中に見られる幾つかの特徴によって判断することは、一応、理にかなっているように見える。しかし、われわれの生き方、考え方は、そんなに合理的ではないし、そもそも人生とは矛盾をかかえて生きることではないだろうか。」と言います。とかく合理的なことがもてはやされる昨今です。しかし、人は本来的に合理的ではないのかもしれません。合理的な面を持ちながら支離滅裂な面もある。価値観とは、一つではないのです。皆さんは合理的?それとも支離滅裂?それとも・・・。
【今月は内容が難しめでごめんなさい(笑)】
平成22年3月(4月号)

拝啓 花の便りが北上する季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。東京芸術大学で修復中の青蓮寺所蔵の愛染明王像が、銀座でお披露目されます。これは、芸大の文化財保存学保存修復彫刻研究室が行った修復事業と修復研究の報告会が開催されるに当たり出展されるものです。会場は、銀座シンワアートミュージアム(中央区銀座7-4-12 ぎょうせいビル)期間は、4月25日(日)〜4月29日(木)の5日間。時間は午前10時〜午後5時。多くの方に、銀座まで足を運んで頂き、当山の愛染明王を目の当たりにし、芸大の学生さん方と親しくお話頂ければ幸いです。関東大震災以来、87年ぶりに公的な場に復帰し公開されるのが日本の代表的な街、銀座です。さすがです(笑)。
平成22年3月

拝啓 春なお浅く、朝夕の冷え込みもまだまだ厳しい昨今ですが、皆様いかがお過ごしですか。人の能力の一つに「忘れること」を上げた方がいました。私たちは小さい時から「覚える」ことを教わります。覚える事が「善」で忘れることは「悪」なのか?こんな価値観を見直す時代に来ているのかもしれません。人が生きいると楽しいことばかりでは無く、辛く苦しいことも多々あります。人は、自分の全人生を覚える必要があるのでしょうか?忘れる事があっても良いのではないでしょうか。でも、忘れることが多くなると普段の生活が出来なくなるのも事実です。人は、何を覚え何を忘れるべきなのか?そして、忘れる、記憶が無くなる現実と、どう向き合うべきなのでしょうか。
平成22年2月

拝啓 残寒の候 皆様いかがお過ごしですか。言葉や文字は、それだけではただの情報を伝達する記号に過ぎません。言葉は人の口から口へと語り継がれ人の記憶の中に残ります。そして文字は、その記憶を後世にも伝えます。そんな言葉や文字ですが、時として情報を伝える記号という立場を超え、人の心に到達することがあります。それは、感情や思いや気持ちが、伝えられるべき言葉や文字に付加された時に起こります。感情とは、喜怒哀楽や好悪など、物事に感じて起こる気持ち。と広辞苑にあります。世の中には、ただ情報として伝達されれば良いこともたくさんあります。でも、人の気持ちを人に伝えたいという思いもしばしばあります。そして、自分の思うように相手に気持ちを伝えることは、とても難しく思います。皆さんは、どうやって人に気持ちを伝えていますか。
平成22年1月

拝啓 新春の候 皆様いかがお過ごしですか。除夜の鐘から年始にかけて、当山の鐘楼道の鐘の音は聞かれましたか。昨年十二月二十八日に撞木(鐘を撞く棒)を約三十年振りに付け替えました。材質は、棕櫚(しゅろ)の木。初代の撞木と同じ様に太く立派な棕櫚の木を探すのがとても大変で、お願いした業者さんは、関東だけでも三十本以上を実際に足を運び見て回り、関西と四国を中心に全国を探したそうです。結局そんな貴重な棕櫚の木は、地元手広のご総代の家にありました。棕櫚の木をご総代にご奉納頂き、木を寝かせること十ヶ月弱。設置は、浅草の宮本卯之助商店。和太鼓や楽器を扱っている会社なだけに、梵鐘の音にこだわりを持って調整してくれました。当山の梵鐘の音は、進化を遂げました。耳を澄まし、心を清ませて聞いて下さい。心に何とも言えない平安が訪れます。
平成21年12月

拝啓 師走の候 皆様におかれましては、益々ご清祥のことお慶び申し上げます。また平素より、当山に対しまして格別のご支援・ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 今年も、瞬く間に月日が流れてしまいました。当山にとっては本年は、なんと言っても愛染明王像の修復が、東京藝術大学大学院の籔内佐斗司先生監修のもと同修復学教室の皆さんの手により始まったことです。鎌倉時代の慶派の流れを汲む尊像で、関東大震災で倒壊するまでは
この愛染明王が青蓮寺の本尊でした。実に八十数年の時を超え、その姿をこの世に表そうとしています。愛染明王は「煩悩即菩提」を表しています。煩悩がそのまま悟りの境地に直結していることを示しています。厳しい現実と激動する現在を生き抜く為には、これ以上ない境地であると思います。
 また、別途皆さまにご案内を出すことと思いますが、この尊像の修復にもご協力・ご支援を頂ければ幸いです。
 当山は、少しづつ進化して行けることを、皆さまに深く感謝をすると共に、檀信徒の皆さまに必要とされるお寺をこれからも目指してまいります。
 日に日に寒さが増しています。どうぞご自愛ください。そして、平成二十二年が本年にもまして、皆さまにとって良い年になる事を心より祈念いたしております。
平成21年12月

拝啓 歳末の候 皆様いかがお過ごしですか。毎年12月に入ると今年ももう終わりか〜一年が早かったなぁと感慨ひとしおです。青蓮寺第64世住職が住職在位30年以上という事で、本山金剛峰寺から褒賞されると共に、高野山真言宗でのお坊さんの位が、上から二番目の『権大僧正』という位に補任されました。これからは、法会の時に緋色の衣に緋色の袈裟を着けることが出来ます。ちょっとしたお祝いです。(正式には、書面をお送りご挨拶する予定です)ちなみに、一番上の階級は『大僧正』で真言宗には、16階級あります。日本の仏教の僧綱制には、僧正、僧都、律師があり、私は、大僧都(上から7番目)という位で、そろそろ権少僧正という位に上がります。来年あたり僧都→僧正へ。位が上がると共に、僧侶として人として心を磨きたいと思います(笑)。
平成21年11月

拝啓 惜秋の候 皆様いかがお過ごしですか。1989年(平成元年)11月にベルリンの壁が崩壊してから20年の歳月が流れました。私は、この年に高野山の専修学院という修行の専門道場に入っていて、真言宗の僧侶の基本となる修行をしていました。サントリーリザーブというウィスキーのCMでは、レイチャールズが、サザンの「いとしのエリー」をカバーした「エリーマイラブ」を歌い大ヒットした年になります。しれから20年です。人にとって時間を積むこと或いは、時間を過ごして行くこととは、どういうことなのでしょうか?過ぎた時間に意味や価値はあるのか?無いのか?時間という概念そのものが便宜的なものなのか?皆さんにとって時間とは何ですか?
平成21年10月

拝啓 秋天の候 皆様いかがお過ごしですか。10月初めに勉強の為に高野山へ行ってきました。高野山は、お大師様の信仰の源です。弥勒菩薩は、未来佛として56億7千万年後にこの世に来られ地球の三カ所で説法をされると言われます。その一カ所が高野山の奥の院と言われていて、その時に入定(瞑想状態)されているお大師様が出定(瞑想を終えること)され、弥勒菩薩の仏の言葉を私たちに解る言語で通訳してくれる事になっています。宗教界の二大スターの共演です(笑)。この世紀のイベントに立ち会う為に、古来より人々は高野山にお参りをして、お大師様とご縁を結びました。お大師様とご縁が出来ればこのイベントのチケット予約は完了です。但し、このままでは自由席です。弥勒菩薩とお大師様が並んで立つのが近くで拝める(見られる)スーパーシートは、別途入手方法があります(笑)。寳積院住職にお尋ね下さい。高野山で織り成す死がこの世の終わりではない、壮大な輪廻思想。もしかすると56億7千万年後に、このハガキを読む方々は再会するかも(笑)。
平成21年9月

拝啓 新秋の候 皆様いかがお過ごしですか。「情けは人の為ならず」日本のことわざです。でも、似たような意味の言葉が世界中にあるようです。情けは人の為では無く、巡り巡って自分に返ってくるから、誰にでも親切にした方が良い。と言った意味です。広辞苑によると「情け」=@人間としての心。感情A他をあわれむ心。慈愛。人情。思いやり。Bみやびごころ。Cふぜい。D男女の愛情。恋ごころ。E義理。F情にすがること。お慈悲。と意味の記載がされています。「情け」って意味深いですね。ところで最近の皆さんは生活の中で、人の為に心から涙を流したことはありますか?他人の為に、心から喜んだことはありますか?人の為に、心の中で人知れず泣いたことはありますか?広辞苑の「情け」第一義の「人間としての心・感情」は、皆さんの心の中にあります。喜びや嬉しさ、そして苦しみや悲しみが・・・。
平成21年8月

拝啓 早涼の候 皆様いかがお過ごしですか。この夏、いよいよ青蓮寺にペット供養塔が完成いたします。本尊は、薬師如来の眷属十二神将伐折羅(ばさら)大将を籔内佐斗司先生の手によって、新たに童子像として生み出された尊像で、右手に仏の智慧を表す利剣を、左手に宝珠を持っています。伐折羅=バサラは、サンスクリット語のバジュラの音訳で金剛=ダイヤモンドの様に硬い智慧を表とも言われます。その周りに、ペットの代表として小さな犬・猫・鳥・魚のオブジェを配置(これも籔内作品)し、ちょっと他ではお眼にかかれない雰囲気の供養塔になる予定です。数年前から檀信徒の皆様にご要望を頂いていたペット供養を、漸く形にする事が出来ました。ご来寺の折に是非、お参り下さい。
平成21年7月

拝啓 三伏の候 皆様いかがお過ごしですか。青蓮寺には、鎌倉時代の愛染明王像があります。しかし、関東大震災(大正12年=1923年)で壊れ、体がバラバラになってしまい、一つの箱に入れて鎌倉国宝館で保管して頂いていました。この度、様々なご縁を頂き、東京芸術大学大学院で籔内佐斗司先生監修のもと修復される運びとなりました。数年後には、約90年ぶりにそのお姿を皆様に拝んで頂けると思います。修復が完成すると鎌倉市内最古の愛染明王になります。現状でも運慶・快慶の流れを汲む慶派の作であることは間違いないと言われております。今年の秋には、芸大に修復の見学ツアーを企画しようと考えております。楽しみにお待ちください。
平成21年6月

拝啓 麦秋の候 皆様いかがお過ごしですか。TBS「イブニング・ファイブ」でも取り上げられ、映画化され現在全国の映画館で上映中の「余命一ヶ月の花嫁」の書籍化されたものを読みました。23歳で乳癌を発症。乳房切除の手術を受けるも再発、24歳でその生涯をとじられた長島千恵さんの実話です。生きること。死にゆくこと。愛すること。思うこと。支えること。感謝すること。苦しむこと。痛いこと。悲しいこと。家族のこと。友人のこと。恋人のこと。「人間が生きる」ということが惜しげもなく長島千恵さんを通して伝えられています。千恵さんは、自分の周りの人たちを思い言葉にします。「もう感謝感謝。感謝しきれない。『感謝』という言葉もそんな言葉じゃ申し訳ない。足りなくて・・・。」と。24歳でこの世の生を終えた女性は、家族や恋人・友人の心の中で今も確かに生きています。合掌
平成21年5月

拝啓 新緑の候 皆様いかがお過ごしですか。今年から来年にかけて、私は勉強する年になりそうです。梵語(サンスクリット語)の習字・本山主催の阿字観(密教の座禅)指導者養成講座と心の相談員養成講座(臨床心理学系の勉強)。青蓮寺住職には、昭和三十五年に三十歳で亡くなった長兄がいました。私の伯父にあたります。その伯父の生前の姿を思い、親族や友人や関係者から集められた文をまとめた「無量樹」という追悼集があります。昭和三十六年発行で非売品です。伯父は、京都大学文学部印度哲学学科を卒業後、立命館大学法学部に編入された逸材(ちょっと自慢です。)で、そのかたわら、ボランティアで点字を学び、谷崎潤一郎や宮沢賢治の本を点訳し京都の盲学校に送っていた人です。そして真言宗の僧侶であり実家の幼稚園で子供たちの教育にたずさわり、一児の父でした。当時。、目の不自由な方は、点字をするが故に、手にタコがあったそうです。伯父は、当時、目の不自由な方々の生活が少しでも良くなるように、自分の手の指にもタコを作り、惜しまず時間を使う人でした。私が、学ぶことが少しでも人の為に成ることを切に願います。
平成21年4月

拝啓 桜花の候 皆様いかがお過ごしですか。チベット仏教では、生命の本質は心であり、その本体は純粋なる光だと教えています。ここで云う心は、日常の生活で私たちが感じる心ではなく、普段は中々感じる事のない深い所にある心のことです。死は、この心が物質としての肉体から解放される時であると。人は、生きる為に多くの事を学び、様々な練習をします。小さな子供がドキドキしならが一人で初めての買い物をし、新入社員は、会社を通じて人付き合いやお金の稼ぎ方を学び、学校で子供たちは、家族以外の社会を学びます。誰もが少しずつ生き方を学び、最初はドキドキしていた事が、当たり前に出来るようになります。人は、誕生した時に既に死が約束されています。でも意外に死を学ぶ事は少ないですね。仏教は、『慈悲の心』=『優しさ』をとても大切にしています。死を見つめる事により何故『優しさ』が大切なのかが見えてきます。皆さんにとって『優しさ』とはなんですか。
平成21年3月

拝啓 水ぬるむ候 皆さまいかがお過ごしですか。『余命』(谷村志穂著)と言う小説を読んでいます。この春に映画化も。若年性の癌に見舞われた主人公の女性が、病を克服し医大を卒業。そして医師になり結婚。子供を授かるのですが、妊娠と共に癌が再発。我が子をとるか、自分の癌治療をとるかの選択で、医師でもある主人公は、子供の誕生を優先し出産。やがてこの主人公は考えます。『どう生きるか。どう死ぬか。それは本人にすら決められないものだ。誰にも必ず終わりが来る。〜略〜 死を見つめた時から、人は別れの時計を手に入れるのかもしれない。〜略〜 その時計の針が動き出すと、一瞬一瞬が輝きはじめる。今そばにいる人の幸せを心底、願うようになる』と。人には必ず死が訪れます。その死から、悲しみや苦しみや憎しみに絶望だけではなく、小さな幸せや暖かさが生み出されることを切に願います。
平成21年2月

拝啓 境内に梅花の香りが漂い始めました。皆様いかがお過ごしですか。ある禅宗のお坊さんが、『幸せは四つ。愛され、褒められ、役立ち、必要とされること。』と言われています。そして、仕事をする事によってこの内の三つが手に入る可能性があると。現在は大きな流れの中で、仕事をする事が難しい時代に入りました。企業のリストラや学生という立場を終えても働こうとしない若者たち。本来、働くことにはお金を稼ぐ以上の意味が有り、人が生きる上で自分の存在意義を見出す活動なのだと思います。世の中には、大きくお金を稼ぐのが上手な人も、コツコツと丁寧に働く事が得意な人もいます。皆さんは、生活を成り立たせる為の一つの手段ですか。働く事にお金を稼ぐ以上に意味がある社会は幸せかもしれません。
平成21年1月

拝啓 初春の候 皆様いかがお過ごしですか。昨年の10月25日よりご寄進のお願いをしておりました庭園燈ですが、お陰さまで沢山の申込みを頂く事が出来ました。このご寄進を皆様にお願いするにあたり、最初の一灯を快く賛同して下さった方がいます。ご寄進のお願いを躊躇している私の背中を、暖かく押して頂きました。一人の方の暖かい想いが、このように沢山の方々へと広がっていったと考えています。除夜の鐘から新年にかけて、参拝の皆様には大変喜んで頂きました。今後は、夜間拝観も視野に入れて行事を企画して行きたいと考えております。年頭にあたり、まず『感謝』から始める事が出来ることに、この上ない幸せを感じております。皆様のご期待に添えるよう本年も青蓮寺は邁進いたします。感謝です。
平成20年12月

拝啓 師走の候 皆様いかがお過ごしですか。『一年』という一つの区切りの時を迎えつつあります。バタバタと生活に追われる反面、今年を振り返ってみたり、来年の事を考えたりしてしまいます。古来、日本では「数え年」が採用されてきました。お母さんのお腹に宿ってから年齢を数え、誕生すると一歳です。そして。一月一日をもって一歳年を重ねます。よくよく考えて見ると、日本では、一月一日元旦は全ての人の誕生日だったのですね。「明けましておめでとう。」って新年と共に、お互いの誕生をお祝いする言葉だったのかもしれません。(私の思いつきです。)今年と云う一年を生き抜き、元旦に回りの方々とお互いの誕生を祝い存在を感謝しつつ、「明けましておめでとう」が言葉に出来るとちょっと素敵な気がいたします。
平成20年12月

拝啓 師走の候 皆様におかれましては、益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。また平素より、当山に対しまして格別のご支援・ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 本当に日が経つのは早いものです。本年は2月に供養塔の開眼法会を、4月からは、山門を入り正面の築山を解体し池と周辺の整備をし、墓所の造成をする事ができました。また、10月より境内に庭園燈の設置のお願いをしたところ多数の方々よりご寄進を頂き、大晦日、除夜の鐘では、幻想的な雰囲気の中で年越しが迎えられそうです。園庭燈は、引き続きご寄進の募集を致しますので、お考え中の方は是非、先祖供養や諸祈願の為にお申込下さい。当山が、日々良くなり、皆様に心地よくご来寺して頂けるのは、お参り下さる檀信徒の皆様のお気持ちの現れに他なりません。皆様に深く深く感謝をすると共に、現在に必要とされるお寺をこれからも目指してまいります。
 日に日に寒さが増しています。どうぞご自愛ください。そして、平成21年度が本年にもまして、皆様にとって良い年となる事を心より祈念いたしております。
平成20年11月

拝啓 霜秋の候 皆様いかがお過ごしですか。10月24日から28日まで4泊5日で硫黄島に慰霊に行ってきました。ご存知の通り先の大戦での激戦地であり、戦没者は日米合わせて2万6千人を超えています。硫黄島については、沢山の本が出版されていますので詳細はそちらを。自衛隊員でもなく、遺族でもない者が4泊5日も硫黄島に滞在するのは極めて異例なことであり、私にとっては、かけがえのない時間となりました。従軍された方々への想いを想像した時、胸が張り裂けそうな気が致します。遠く離れた家族への純粋な気持ち。恐怖。絶望。死ぬこと。殺すこと。そして、殺されること。また、生きること。残られた者の想いは?現在は平成20年。戦後63年の月日が流れました。時間は、残酷なのか。癒しか。死に方には関係なく、亡くなられた方を供養し、生きている方の幸せを祈念する。私に与えられた仕事です。
平成20年10月

拝啓 小春月の候 皆様いかがお過ごしですか。『人生を二度生きることができる人はいない。人生を最初からやり直すことができる者もいない。人生とはつまり取り返しがつかない一瞬一瞬の連続でもある。』(サヨナライツカ 辻仁成著の一節)恋愛小説ではあるのですが、心に引っかかる一節だったのでご紹介します。例えば、人生をやり直したいと思う場合、多くの場合は何かの失敗をしたので、失敗する以前に戻り失敗しないようにやり直したい。と思ったりする訳です。でもよくよく考えてみると、人生という大局では何が成功で何が失敗なのか?とても不確かな気がします。そもそも人生の評価が成功や失敗で良いかも不確かです。もし人生が一瞬一瞬の積み重ねであるとするなら、生きるとは、時間を重ねたり費やしたりすることになります。「命がけ」って大げさなことでは無くて、その人や物事に対して時間を使うことになりますね。皆さんは、何に時間を使われていますか。
平成20年9月

拝啓 秋涼の候 皆様いかがお過ごしですか。最近、改めて仏教の祖、ゴータマ・ブッダ=お釈迦さまの事を考えています。お生まれは、現在のネパール領ルンビニーという町です。その後は、現在の北東インド・ガンジス川流域で修行をされ悟られ布教をし涅槃につかれました。お釈迦様は、釈迦族の王子として生まれ(マハラージャです)、何不自由ない幼少期を過ごされたと云います・ですが、青年期に人生の苦しみを知り、出家し修行を重ねます。きっとお釈迦様はご自身に語りかけ続けたことでしょう。人の生は苦しみである。そんな人生をどう生きれば良いのか。仏教は、その問いかけから始まったと言っても過言ではありません。人生は苦しみである。しかし、自分自身の考え方や感じ方、或いは行動次第でより良いと思われる人生や幸せの中を歩むことが出来ると、お釈迦様は示されました。皆さんにとっての苦しみや、そして幸せは何ですか。
平成20年8月

拝啓 ハスの花が咲く季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。当山の池では睡蓮が咲いています。少し辞書で調べてみたのですが、仏教で使われる「ハス」は、いわゆる蓮と睡蓮との両方を指しているようです。この両者の違いは、葉っぱのつき方だと思われます。仏教では、泥の中に根を生やしながら、美しく清浄な花を咲かせるハスをとても尊びます。泥の中の根の支えが有るからこそ、美しい花が咲きます。逆に言えば、泥に汚れた根が無ければ、美しい花を咲かせることも無い訳です。人の世も人生もハスの花と同じだとお釈迦様は言われています。人の世で、何が美しく何が醜いのか?非常に難しい問いかけです。生きるのは中々厳しく、自分の事で精一杯の時もあるはずです。でも、そんな人生の中、皆さんは自分なりの美しい花を咲かせる事が出来ていますか。
平成20年7月

拝啓 涼月の候 皆様いかがお過ごしですか。宗教というと、あたかも悩みを無くすのが役目のように捉えている方がいらっしゃいます。でも悩みが無くなったら人の人生ではないかもしれません。仏教では、悩みを無くすのではなく、そこにある悩みと、どのように向き合うのかが問われます。よくよく考えてみれば、人は悲しみが有るから喜びが分かり、辛いから優しさが身に沁みるのではないでしょうか。でも、辛い時は辛いし、苦しい時にその先にある喜びなんて想像も出来ませんよね。しかしです。その人の人生を幸福と云えるのも、不幸と云えるのも実は本人しかいないのです。本人しかその人生を生きられませんから。皆さんの心のありようが問われます。あなたは、幸せですか。
平成20年6月

拝啓 霖雨の候 皆様いかがお過ごしですか。空海さんは、今年で1234歳。皆さんの信仰の力で生きてらっしゃいます。最近ちまたではアンチエイジング(抗加齢)なるものが流行っていいます。年相応に老いる事に抵抗している訳ですね。運動や美容で。今から2千500年位前、一国の王子だったお釈迦さまは出家する前に @生きること A病気になること B老いること C死ぬことの四つに苦しみがあることに気が付かれます。若かったお釈迦さまは、老人を見て愕然とするわけです。いつかは、自分も老いる。若さは驕りであると悟られます。何をしても人間は必ず老いそして死ぬ。当たり前ですが、身をもって理解するのは意外に難しいような気がします。死を考えることは、生を考えることに繋がります。また生を考えることは、死を考えることに。若さは絶対の価値ではありません。皆さんにとって本当に価値あることとは何ですか?。
平成20年5月

拝啓 新茶の季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。当山の宗派は、ご存知の通り高野山真言宗です。真の言葉の宗派という位ですからかなり言葉を大切にしている宗派だと云うのが解ります。言葉=音をとても大切にしている訳です。「あ〜」とか「う〜」とかいう音そのものに、全てが凝縮されている、音が真理そのものであると捉えています。世の中には、実に様々な音が溢れています。心地よい音。イライラする音。良く聞こえる音。私たちの目が見えなかったら、隣の人の存在を確認したり、自分の存在を解って欲しい時、多くの場合「音」=「言葉」に頼ることでしょう。そう「音」は、存在そのものなのです。だから、人の言葉には、耳を傾けなければならないわけです。皆さんは、どんなふうに、周りの人の「言葉」に耳を傾けていますか。
平成20年4月

拝啓 山笑う季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。境内では、次々と華やかに花が咲き始めていて本当に綺麗です。是非お参りください。最近、『幸せ』っていったいなんだ??と考え続けています。なんとなくは解るのですが、随分と漠然とした言葉だな〜と思いながら・・。先日、仏教を紐解かれている、ひろさちや氏のお話しを聞く時間がありました。その中に、なんと一つの答えがありました。このハガキで書こうと思ったのですが、さすがにこのスペースでは無理ですね。と云うことで4月8日の写経会でその答えをお話しします。写経会は、お写経をしなくてもお話しを聞くだけでの参加も大丈夫です。当日は花祭りもしていて甘茶の接待もしています。お気軽にお参り下さい。
平成20年3月

拝啓 解氷の候 皆様いかがお過ごしですか。二月末日で無事に五穀断ちも終わり、現在は断っていた五穀を一週間に一穀くらいのペースで解禁にしていいます。大豆と小麦を食事に加えました。この二つが加わると食事はバラ色です。醤油に豆腐・納豆、卵やバターを使っていないパンが食べられる訳です。それだけの事でかなり幸せです(笑)その内に、醤油や豆腐のありがたみも薄れて、当たり前になると思うのですが、そう考えると今の幸せな気分とは、いったい何なのでしょうか。幸せは、「成る」ものでは無く「感じる」ものであると言った方がいらっしゃいました。皆さんはどんな時に幸せを感じますか。
平成20年2月

拝啓 初春の候 皆様いかがお過ごしですか。二月十四日無事に五輪塔・五輪塔童子開眼法会を執り行う事ができましが。ホット一息つくと共に、皆様に感謝申し上げます。亡くなった方のご供養と、現在を生き抜く為の諸祈願の新しい場所となります。是非、皆さんお参りし心癒されて下さい。お祝い続きの当山ですが、気を引き締める為に、私は五穀断ちを今月一杯二十九日間しております。肉・魚・卵・乳製品・米・大麦・小麦・大豆・小豆を断っています。ご飯やパン・スパゲッティーが食べられず、大豆がダメだとお味噌や醤油も摂れなくなります。多少は、心身共に清まるかもしれません。世の中に心身を清める方法は、幾つもありますが、皆さんはもしするならどんな事をされますか。
平成20年1月

拝啓 初春の候 皆様いかがお過ごしですか。平成二十年は、ヘレンケラーの没後四十年に当たり、彼女は生前に『悲観主義者が、宇宙の神秘を探求したり、未知の土地に航海したり、人の魂に触れる新しい扉を開いた事は、かつて無い』と言われています。悲観的と楽観的は、相反する事ですが、全てをどりらかに割り切る事は出来ません。それでも悲観するより楽観的な方が生き易いと考えたのは、私たちの先祖の智慧だと思います。人生は山あり谷あり。皆様にとって、本年が悲観的な事よりも、やや楽観的な事が多い年である事を祈念しております。
平成20年1月

拝啓 頌春の候 ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご厚誼にあずかり、厚く御礼申し上げます。
新しい年が明けました。皆様はどのようなご気分でお過ごしでしょうか。新年を迎えると何かと気持ちが改まる気がいたします。
本年の初頭に萬霊供養塔が完成する予定です。籔内佐斗司先生作の五輪塔と五輪塔童子で、先生作の童子像としては、鎌倉初となります。これを契機に今後益々皆様の様々な供養のご希望に添える寺に成るよう努力を重ねて参ります。ペット等の動物供養のお問い合せも頂いておりますが、皆様のご希望と宗教上の教義がずれないできっちりご供養出来るように、今しばらく時間を頂ければと思っております。
新春とは言え、寒さはこれからが本番です。どうぞご自愛ください。当山は、皆様のご多幸を心より祈念しております。
平成19年12月

拝啓 師走の候 皆様におかれましては、益々ご清祥のことお慶び申し上げます。また平素より、当山に対しまして格別のご支援・ご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
 今年もいよいよ年が迫ってまいりました。平成十九年は皆様にとってどのような一年だったでしょうか。当山は、今年の後半にようやく念願であった供養塔の建設に着手する事が出来ました。本尊は現代屈指の彫刻家である薮内佐斗志司先生作の五輪塔と五輪塔童子です。工事は、平成二十年に跨りますが、これも皆様のお陰と心より感謝申し上げます。年末年始と工事で境内の足元が悪く、お参り下さる皆様には、ご迷惑をお掛け致しますが、完成までご容赦ください。お参り下さる皆様の喜びや癒しに成る様な境内に整備を進めてまいります。
 日に日に寒さが増しています。どうぞご自愛ください。そして、平成二十年が本年にもまして、皆様にとって良い年になる事を心より祈念いたしております。
平成19年12月

拝啓 新雪の候 皆様いかがお過ごしですか。まずはお詫びから。供養塔工事ですが、日程の読みが少し甘かったようで年内に完成しそうにありません。ごめんなさい。今、若年性アルツハイイマーの小説を読んでいるのですが、なんだか胸が締め付けられます。人は、「脳」の記憶によって存在するのですかね。それとも存在そのものですか。脳は記憶を忘れ、体は生きる事を忘れやがて死に至る病気です。皆さんにとっては記憶(思い出など)が全てですか。それとも、もっと大切な事がありますか。生きる意味が問われています。
平成19年11月

拝啓 向寒の候 皆様いかがお過ごしですか。気がつけば今年も段々終わりに近づいてきました。今年は、幸いにして供養塔の建設を始める事ができました。年内には完成する予定です。お寺は、壮大な時間と沢山の方々の思いで今日の姿を今に伝える事が出来ています。そして、一人ひとりの存在もお寺と同じように、誰かの思いによってその存在が今そこに在る様な気が致します。
平成19年10月

拝啓 実りの季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。まず悲しいお知らせから。青蓮寺の不動・愛染明王像造立にきり金師として関わられた、人間国宝江里佐代子師が10月3日に渡航先のフランスでお亡くなりになられました。享年62歳。ご冥福を祈ると共に、非常にショックを受けております。本葬は10月27日京都にて。詳細はお問い合せ下さい。今月13日に藪内佐斗司氏の五輪塔童子がお寺にやって来ました。本堂に仮安置をしています。併せて、供養塔の建設を始めております。境内が工事中です。参拝の折は足元に十分ご注意ください。いろいろな出来事の中、変わり行く人の世と、変わってはいけない人の心を考えています。
平成19年9月

拝啓 台風九号が通り過ぎましたが、皆様お変わりなくお過ごしですか。ヘレン・ケラーの生き方には、多くの人が影響を受けていると思いますが、ヘレンが力強く生きるきっかけを作った家庭教師をアン・サリバン先生と言います。サリバン先生は、六才の時(一八七二年前後)マサチューセッツの慈善病院(孤児などを引き取っていた病院です)に入られます。母は死亡。父は行方不明。本人は目がほとんど見えなかったようです。弟も一緒だったのですが、入所後三ヶ月で結核で死んでしまいます。酷い施設だったようで虐待や暴行もあったと推察されます。病院なので死は日常茶飯事。これがサリバン先生のスタートです。しかも六才。ここから自身の無智を悟られ、無智を取り除く為に学校に行き、教師の資格を取りヘレンに出会う訳です。この話を知ると私の人生には、余りにも言い訳が多い様に感じます。皆さんはいかが思われますか。
平成19年8月

拝啓 土用明けの暑さひとしお厳しい折、皆様いかがお過ごしですか。躁鬱病の心理学的治療方法の一つに「誠実療法」があります。これは、本来「人」がもっているその人の良心に対して誠実に生きるといった考え方に立っています。本来持っている良心に対して誠実に生きていないとストレスの原因になると捉えている訳です。人は誰しも本来「良心」があると、現代の医学が投げかけています。良心に誠実に生きる事が、心の平穏であり、真の幸福であると。皆さんは、自分の内なる本来の「良心」の声に、耳を傾けていますか。
平成19年7月

拝啓 夏木立の緑濃く、力づけられるような今日この頃です。皆様いかがお過ごしですか。過日TBS放送に、夜回り先生こと水谷修先生が出演されお話をされていました。水谷先生は、子供たちの様々な問題(自殺・不登校・いじめ・薬物など)に取り組み子供たちと接しています。そんなお話の中で、『命を絶ちたいくらい辛い時、少し頑張って人の為に何かしてごらん。人の為に何かをして「ありがとう」と一言でも感謝されると、それだけで生きられるよ』と。私たちの「ありがとう」は、人の命を生かします。そして、私たちの命も。
平成19年6月

拝啓 あじさいの花が咲き始めました。皆様いかがお過ごしですか。最近靴磨き職人として、長谷川裕也さんという方が脚光を浴び始めています。品川を拠点に靴磨きをしています。まだ二十三歳。色々な経緯や話があるのですが、彼は『日本の足元をピカピカにしたい。』『靴を磨き終わったお客様は、背筋がピンと伸びて私の元を去って行くのです。』と言います。また、『靴磨きを通して心を磨くのです。』とも。私たちが生きていく中では、心を磨くチャンスが沢山あります。一見めんどくさくてどうでも良いことが、その人の捕らえ方、感じ方によっては、心を磨く事へと変わります。さてさて、皆さんは、どのようにして自身の心を磨いていますか。
平成19年5月

拝啓 境内ではフランスマーガレットや大紫が咲き誇ってきます。皆様いかがお過ごしですか。過日、お寺の団参で伊豆の修善寺に行ってきました。お大師様ゆかりの地です。病気の父の体を息子が川の水で洗っているところに通りかかったお大師様が、親孝行の姿に関心して水では余りに冷たかろうといって、独鈷(とっこ=密教の法具)を岩に突き刺すとお湯が沸いたと言われる温泉地です。この話しには、信じ無ければ救われないという小さい観点ではなく、お大師様が常に人の為に、人の役に立つ為に生きようとされていたのが感じられます。宗派や信心を超えて常に人の為に存在したいと、考えさられる旅になりました。皆さんは何の為に生きられますか。
平成19年4月

拝啓 桜花爛漫の候 皆様いかがお過ごしですか。『桜』良いですね〜。何故、私たちの心を魅了するのでしょうか。気候も少しずつ暖かくなり、桜が咲くとなんだか浮き浮きしてしまいます。日本人の心ですかね。日本人の心と言えば、皆さんはお子さんやお孫さんのお誕生日を、どのようにお祝いしていますか。もちろん「おめでとう」ですよね。少し前まで「お母さんがお腹を痛めてお前を生んでくれた日」という言葉がありませんでしたか。誕生日は、周りにいる人たちは、その人がこの世に誕生して存在してくれている事を喜び感謝する日であり、誕生日を迎えた本人は、まず大変な思いをして自分を生んでくれたお母さんに感謝する日なのではないでしょうか。誕生日のこんな気持ちが伝わるだけで、世の中が少し良くなりそうな気がしませんか。
平成19年3月

拝啓 桃月の候 皆様いかがお過ごしですか。昨年の十一月にダライ・ラマ法王のお話を聞く機会がありました。チベットからインドに亡命し亡命政府を樹立されています。その人生は、まさに苦しみや悲しみの連続であったに違いありません。それでも人は、ダライ・ラマの事を「微笑みの人」と呼びます。講演会の最後に質疑応答の時間が有り、生きていると辛い事や悲しい事が沢山あるが、どのように乗り越えたらよいですか?と質問がありました。ダライ・ラマは一言、それは「忍耐」しかない。と言われました。七十数年の人生を通したダライ・ラマの結論なのだと思います。私はショックを受けました。仏道修行を積まれた方からは、もと優しい答えが返ってくると期待していたからです。生きる事は、綺麗ごとではありません。「忍耐」が答えなのでしょう。でもその「忍耐」が幸せを生み出すとするならば、私たちは耐える事が出来るのかも知れません。
平成19年1月

拝啓 初春の候 皆様いかがお過ごしですか。作家の塩野七生さんが執筆された本の中で、『天国に行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである』と書かれています。作家さんの言葉ですが、非常に意味深な表現だと思います。世の中きれい事だけではないですよね。喜びには悲しい事が、健康には病気が・・・それぞれに相対する事柄があってはじめて良く分かるものです。悲しさや辛さや厳しさが分かるからこその、優しさを存分に発揮して、新しい年を過ごして頂ければ幸いに思います。


平成18年12月

拝啓 冬枯れの季節を迎えました。皆様いかがお過ごしですか。日ごろより当山に対しまして、格別のご厚情を賜り厚く御礼申し上げます。
本年は、当山にとり一つの転機となる一年でした。塔頭の寶積院が高野山真言宗の一寺院として本山に正式に認められたことは、寺門の興隆という意味においても大変喜ばしい出来事でした。また、不動明王・愛染明王の新しい二体の仏像の内陣に開眼安置することができました。全ては檀信徒の皆様のお力添えと、深く感謝申し上げます。
末筆になりましたが、平成十八年が皆様にとり、かけがえのない年であった事を願い、また皆様の健やかな日々の生活を祈念して年末のご挨拶とさせていただきます。
平成18年12月

拝啓 初冬の候 皆様いかがお過ごしですか。少々国語の勉強をしてみましょう。日本語で「生きる」とは、「生き」=「呼吸」で「る」とは継続を表す接尾辞です。すなわち、「生きる」とは「呼吸が続いていること」を表します。そして、「心」は「命」であり「心臓」を意味します。息が止まり心臓が動かなくなる事を「死」と表現します。
人の気持ちや心を思いやるとは、人の命を思いやる事になります。時には、心静かに自分の命の鼓動に耳を傾け、また大切な方や近しい方の命の鼓動を感じ、誰もが紛れも無く生きているという事に思いを馳せると、まわりの風景が少し違って見えてくるかも知れません。
平成18年11月

拝啓 深秋の候 皆様いかがお過ごしですか。過日、あしなが育英基金から奨学金を受けている大学生と話す機会がありました。あしなが育英基金は、病気や自殺などで親を亡くした子に奨学金を出して就学する機会を与えている団体です。当然、私が会った大学生もお母さんを亡くされています。この団体の一つの活動として、同じような境遇にいる子供たちが集まりコミュニケーションを取り合う活動があります。その中でこの大学生は、奨学金を受けている多くの人が、お父さんが居ない事実に気づいたそうです。一般的には、お母さんが居ないよりお父さんが居ない方が、経済的に逼迫していて生活が大変だそうです。そんな他者の姿を見聞きして、お母さんが居ない自分はまだまだ幸せだと感じたそうです。皆さんは、どんな時に幸せを感じますか。
平成18年10月

拝啓 夜長の候 皆様いかがお過ごしですか。過日、厳修されました寳積院住職就任式と不動愛染両明王開眼法法会は、皆様のお力添えを頂き盛大に心のある法要とすることが出来ました。ありがとうございました。行事続きの青蓮寺ですが、11月11日に、知的障害や体に障害を持つ子供たち向けにコンサートを開催いたします。子供たちや介護をする家族、またボランティアをする学生さんに本物の音楽を聞いてもらい楽しんでもらおうという企画です。ボランティアスタッフの学生も出演者の元劇団四季アーティスト沢木順さんも報酬なし。主催のミューズの森も会場提供の青蓮寺ももちろん無報酬です。ですが、ピアノ搬送費とピアニストの方の交通費だけどうしても費用が掛かる事になってしまいました。合計4万7千円です。そこでワンコイン募金を受け付けたいと思います。お一人様500円からの協賛を頂けないでしょうか。青蓮寺は地域に役立ち、人に必要とされる寺を目指す所存です。
平成18年9月

拝啓 秋涼の候 皆さまいかがお過ごしですか。私の寶積院住職就任法会と不動愛染両明王開眼法会の日が迫って参りました。一つのお寺を再建し、そのお寺の住職に就任する事は、僧侶にとり一大事です。近隣寺院や先輩僧侶、また青蓮寺檀家役員の方々の力を頂きながら渾身の力で当日の準備を進めています。とは言え、当日に参列されるお檀家さんや信者さんが少なかったらどうしようと不安に思っております。このハガキを読まれている皆様、是非法会に足を運んで頂けませんか。多くの皆様に見守られ、新住職としての決意をしたく思っております。一人でも多くの方に見守られる事が、これからの私の行動の原動力となります。皆様からの応援をよろしくお願いいたします。
平成18年8月

拝啓 暦の上では立秋です。皆様いかがお過ごしですか。米国大リーグヤンキースの松井選手は、現在骨折のリハビリ中ですが、いつまでに復帰するといった目標は、設けていないそうです。日を設定するとそれに遅れてがっかりしたり、間に合わせようと焦ったりするからだとか。平常心を保つ為の松井選手のこころのありようです。世の中は、目標を持つ事が良い事とする風潮があるように感じます。ただ、松井選手の場合、やり切った人の考えだとは思いますが。さてさて、皆さんは、どの様に平常心を保たれていますか?
平成18年7月

拝啓 七夕の時期が近づいて参りました。皆様いかがお過ごしですか。昨今、様々なところで高齢者問題が取り上げられています。人が年を重ね、段々と体の自由が利かなくなるのは、別に誰が悪い訳でもなく極めて自然の営みです。でも、要介護ともなれば、介護する人、される人、それを取り巻く人間模様で問題多発は必死です。それは良し悪しでな無く現実の営みです。幼子の頃、多くの人は親を信頼し、親は子を無条件に慈しみます。しかし、子が成長するにつれその親子関係は薄れ、子は気づくと大人になっています。人はいつ子どもの心を忘れるのでしょうか。人は誰しも子どもでした。
平成18年6月

拝啓 黄梅の候 梅の実が気になる季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。過日、友人の結婚披露宴に出席してきました。新婦は神戸の方で、阪神淡路大震災の被災者でした。披露宴は滞りなく進み、宴の終わりで新婦から新婦の両親に対する手紙の朗読がありました。その中に、阪神淡路大震災での事も綴られていました。地震が起きると、とっさにお母さんは娘さんに覆い被さり必死になって娘さんを庇ったそうです。地震が止むと外に出るために靴を玄関まで取りに行く事になり、ガラスが割れていて危険だからと、お母さんが代わりに取りに行ってくれたそうです。当然のようにお母さんは足を怪我されました。親が我が子を思うとき、そこにはどんな思いがあるのでしょうか。地震当日、私は京都で生活していましたが、余りの地震の大きさに、地震が止むまで何も出来ませんでした。皆さんは家族の為、人の為に何が出来ますか。
平成18年5月

拝啓 行く春の惜しまれこの頃ですが、皆様いかがお過ごしですか。私は過日お茶会の主催者をさせていただきました。お茶会を開催するに当り「おもてなしの心」を学ぶ機会がありました。その中で、「おもてなしの心」とは「相手を思い尽くす事である」と仰せられている方がいました。おもてなしとは、そんなに凄い事なのかと、ちょっと聞き入ってしまいました。さてさて、お客様をもてなす事が、お客様を思い尽くす事だとすると、いったい私たちは、家族や友人、親友、恋人を思う時、どんな思いでいれば良いのでしょうか。相手を思い尽くす事ってそんなに無いですよね。皆さんは今までに人を思い尽くしたことがありますか?また、人から思い尽くされた事がありますか?
平成18年4月

拝啓 桜花の候、皆様いかがお過ごしですか。青蓮寺の枝垂桜も開花し、その他の草花も色々と咲き始めました。いよいよ春ですね。
ワールドベースボールクラッシックを皆さんはご覧になりましたか。イチロウ選手の活躍とその言動には感動を覚えた方も多いのではないのでしょうか。数々の名場面や印象に残るコメントがありましたが、私はイチロウ選手が王監督を尊敬している理由に釘付けになりました。「王監督の言葉には嘘がない。」というのがその理由でした。世界のホームラン王という事だけでは無く、王監督の人間性を判断して尊敬している訳です。さてさて、私たちの周りには家族をはじめ実に沢山の人が、自分に関わりを持って生活しています。皆さんには尊敬できる人が近くにいますか。そして、皆さん自身が誰かからか尊敬されていますか。人は私たちの何を見て、感じて尊敬の念を覚えるのでしょうか。
平成18年3月

拝啓 野山がだんだんと明るい色に染まってくるのが楽しみな季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。
過日、久ぶりに高野山に行ってまいりました。紀伊半島の山脈が連なるほぼ中心に位置するこの聖地は、確かに空気が澄んでいて下界とは違い、空海上人の雰囲気を感じます。私たちの生活は、世俗にどっぷりと浸かる事により成り立っていますが、時には世俗を離れた所に身を置くと、普段の生活の中では何か大切な事を忘れている事に気が付きます。とは言え、人はただ生きる為に存在しています。お腹が減れば食べ物を貪り、眠たくなれば寝てしまうのが人の生活です。考えてみると、動物としての人間が何とか崇高な精神を手に入れようとしているのが今の私たちの姿でしょうか。
平成18年2月

拝啓 余寒なお耐えがたきところですが、皆様いかがお過ごしですか。節分=寒が明けて春が立つ分岐点を過ぎましたが、今年はホントに寒々としています。雪もよく降りますね。
私ごとですが、今年は一月半ばから体調がすぐれず、病院で風邪薬を二回処方してもらいました。合計二週間分です。ですが咳が治まらず他の病院に行き診察してもらうと、喘息の疑いがあると診断されました。病気が違うので二週間薬を飲んでも直らないわけです。もちろん最初は風邪で、喘息の咳症状だけ残った状態のようですが・・・。薬を変えるとだいぶ楽になってきました。と言うわけで原因をきちっと把握した治療がいかに大切であるかがわかります。私たちの生活には様々な出来事や問題がありますが、皆さんはきちっと原因(本質)を見極められていますか?本質を見失うと問題の解決や改善が難しいかも知れません。
平成18年1月

拝啓 寒さのことのほか厳しい毎日ですが、皆様いかがお過ごしですか。平成十五年七月にご案内いたしました、不動明王と愛染明王建立ですが、昨年完成し十二月二十二日に本堂に仮安置をいたしました。素晴らしい!凄い!の語に尽き、感動を覚えます。平成が後世に残す最高傑作かも知れません。是非、是非、お名前を胎内に残される事をお勧めいたします。九月九日に開眼法要を開く予定です。お楽しみにして下さい。
 新しい年が始まり早一週間が過ぎました。時間とは不思議なものです。忙しかったり、集中していると早く過ぎ、嫌なことをしているとなかなか時間が経ちません。しかし、私たちの置かれている状況に係わらず確実に進んで行きます。時間は、何時から始まり何時に終わりになるのでしょうか。
平成17年12月

拝啓 いてつく寒さの日が続いております。皆様いかがお過ごしですか。平成17年は、皆様にとりどんな一年でしたか。大企業の業績は持ち直して来たと報道されておりますが、私たちの生活にそれが実感をされるまでにはまだ数年かかるでしょうか。お金が全てではありませんが、生業を立てて行く事は重要であり、生きる事そのものだと思います。
 来る平成18年が、本年以上に皆様にとり充実した、気持の良い年になることを祈っております。
 末筆になりましたが、皆様のご厚情に感謝を申し上げると共に、皆様の健やかな日々の生活をご祈念してご挨拶とさせていただきます。
平成17年12月

拝啓 寒気の厳しい季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。境内では、銀杏が黄色く色づき、もみじやどうだんつつじが真っ赤に染まっています。ここ数年かけて庭の整備を進めて来ましたが、気が付くと秋や冬の風情を感じられる風景になっていました。散る直前に紅葉する木々の不思議を感じながら、やがては枝から離れて散って行き、春にはまた葉をつけ、年輪を増す生命の神秘に想いがめぐります。人は、どんな変化を繰り返しながら時を重ねているのでしょうか。皆さんは、この一年で何が変わり、何が変わりませんでしたか。
平成17年11月

拝啓 夜寒が身にしみるころ、皆様いかがお過ごしですか。鎌倉ユネスコ協会の「平和の鐘を鳴らそう!」という呼びかけに応えて11月20日の正午に青蓮寺でも梵鐘を鳴らす事にしました。ユネスコ憲章に「戦争は人の心の中に生まれるものであるから人の心の中に平和のとりでを築かねばならない」とあるそうです。チベット仏教の最高指導者ダライラマも「心に平和を」と言われています。人の世の良い所も、悪い出来事も人の心の現れです。皆さんは心の中には、平和の砦がありますか。皆さんの心に平和の鐘の音が届きますように!
平成17年10月

拝啓 秋雨の候 皆様いかがお過ごしですか。お参りに来られたご婦人とお話をしました。ずっと第一線で仕事をされ走ってこられたそうです。ここで仕事を引退され、『主人と朝も昼も夜も一緒に食事をしているの。今までは、休日だけだったけど。』と。そこには、走っている時には気が付かなかったゆっくりとした、幸せの時間が流れているとおっしゃられていました。『走っている時もそれはそれで良かったけど』と。
 私たちは、良かれと思い一生懸命に生きていますが、私たちが知っている幸せ以外にも、沢山の幸せの形があるのかも知れません。皆さんはどんな幸せをしっていますか。
平成17年9月

拝啓 日差しはまだ夏の影を残しているものの、秋の気配を感じるようになりました。皆様いかがお過ごしですか。
 バイオリン奏者の川井郁子さん(テレビを見ていたのですが、とっても素敵な方でした)が「五感を開く」という事を言われていました。普段は見ているようで、聞いているようでも実は意識が自分の内に向いている。もっと心を澄まして、外界の音に耳を傾けると、自由になれる自分を発見したとのことでした。
 なるほど、私たちはもしかすると、常に自分の感覚、自分の経験、自分の考えに呪縛されて意外に窮屈な思いをしているのかも知れません。もし、自分の自由を奪っているのが、自分自身であるとすると皆さんならどうされますか。
平成17年8月

拝啓 土用明けの暑さひとしお厳しく、皆様いかがお過ごしですか。神奈川新聞に米スペースシャトル「ディスカバリー」の野口聡一さんの記事が出ていました。茅ヶ崎市民宛のメールで、「宇宙から見る地球は本当にきれい。私の好きなあの茅ヶ崎の海がこの地球の一部と素直に感じる事ができる」とメッセージがあったそうです。
私たちは普段の生活の中では、視野が狭くなりがちです。私たちは、宇宙に浮かぶ一つの地球という星に住む一人の人間です。遥か彼方の宇宙から自分自身を見つめると、どんな風に見えるのでしょうか。私たちは、地球の一部?私たちは、きれいな存在?それとも・・・・。
平成17年6月

拝啓 梅雨入りも間近な様子です。皆様いかがお過ごしですか。続けて三回も友人や後輩の結婚披露宴に参加する機会に恵まれました。披露宴の締めで親族を代表しての挨拶が新郎の父からあり、また新郎本人よりお礼の挨拶があります。結婚し親族や友人に祝福される時、人は何故喜びや感謝に溢れ涙します。
佛式で結婚式を挙げる時の次第の中に新郎新婦が誓う場面があるのですが、その時の僧侶からの投げかけの文面に「今日の心もって終生の心となし・・・」とあります。結婚って現在では様々な価値観と考えがあるように思いますが、古来よりその行為は人生の様々な事柄が凝縮されていると考えられて来たのではないでしょうか。
長い人生の中で、「今日の心をもって終生の心となし」と言える出来事はそんなにないと思います。人の心にとり、それだけ大切な行事が結婚式と考えられます。とは言え、何も結婚式だけが特別な日ではありません。皆さんにとり、終生の心となせる日=喜びや感謝に溢れ涙した日はありましたか。また、それはどんな一日でしたか。
平成17年5月

拝啓 朝夕の風が肌に心地よくさわやかな季節です。皆様いかがお過ごしですか。お寺の境内は、まさに花盛りで次々と花が咲き誇っています。早朝や深夜といった人の動きのない時に庭に佇みますと、日中より自然の香りが濃い気がいたします。
ふと振り返ると私が最初に高野山で修行をした時から17年の歳月が流れていました。自分なりに何かを積み上げ、また心が深まるよう努力してきたつもりですが、月日が過ぎるのは本当に早いものです。人は必ず亡くなりますが、事故や病気や災害など人が亡くなるのを目にすると、自分もいずれ死ぬという現実に思いいたります。この世に肉体と留めているうちに何をすべきなのか、ついつい考えてしまいます。
今の科学では500万年〜400万年前にアフリカに人類が誕生した事になっています。これは、名もない私たちの祖先に支えられた、地球に生きる人類の歴史です。皆さんはこの地球に人類の歴史に何を感じますか。
平成17年4月

拝啓 桜花の候 花便りがあちこちで聞かれるこのごろです。私ごとになりますが、娘を連れて家族でディズニーシーに行ってきました。副住職の家族サービスです。日本で最もバリアフリー化が進んでいる施設の一つです。そのせいか、障害のある方、車椅子の方、高齢の方から小さな子供まで実に様々な方が遊びにいらしてます。
でも、ディズニーランドやシーで特に優れていると感じるのは、そこで働くスタッフがおもてなしの心を持って仕事をされていると感じます。多分、接客マニュアルだけではあそこまで徹底したサービスは出来ないと思います。ミッキーマウスは世界で最も人気があり成功した ねずみ(笑)だと思いますが、その人気を支えているのは、そこで働く人たちの「心」の有り様な気がいたします。
皆さんは普段の生活の中で、どのくらい「心」を込めて人と接していますか。
平成17年3月

拝啓 弥生の候 木も花もつぼみをふうらませております。スペシャルオリンピックス(SO)が長野県で開催されていました。これは知的発達障害のある方たちが、オリンピック形式で競技に参加したり、トレーニングを積みスポーツを楽しむ為のもので世界的な大会です。その運営は、家族や多くのボランティアに支えられています。通常のオリンピックですと、日本が幾つメダルを取った。頑張れ日本!選手たちがあたかも国を背負って競技しているような姿も見受けられますが、SOではそんなシーンはありません。一人一人の頑張った姿に賞賛が送られ、メダルも参加者全員がその対象者です。不思議とそこには、人種や国籍を感じることがありません。感じるのは「頑張っている人」そのものです。世界中の人々が、戦争や紛争、争いごとを忘れて平和に過ごす為のヒントが、この大会に有る気がいたします。
平成17年2月
拝啓 春寒の候 皆様いかがお過ごしですか。今日、足の不自由な青年とそのお母さんがお参りに来てくれました。そして寺務所に立ち寄られ、おみくじをされました。お母さんは、「お寺がすごく綺麗になってきましたね。門を跨ぐ木も何年か前に無くしてくれたのでお参りもしやすくなったしね。やっぱり門(正門)から入りたいじゃない。」と言って下さいました。それまで、足の不自由な息子さんは正門から入れなかったのだと思います。
 青蓮寺の山門は江戸時代の建造物で、きっと何万人もの方が、この木を跨いでお参りされた事でしょう。その木を切るのに住職は一週間悩んでいました。果たして自分の代で歴史的建造物の形を変えて良いものかと、一日に何度も山門の前に立ち考えていた姿が思い出されます。それでも、思い切って決断しその結果、日々お参りに来られる方に喜んで頂ければ、その決断が間違っていなかったと思えるものです。生きていく事は、大きな決断と小さな決断の積み重ねです。その決断が人の喜びに少しでも繋がれば、人生も捨てたものではないかも知れませんね。
平成17年1月
拝啓 小寒の候 皆様におかれましてはお元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。新年が始まり、早くも数日が過ぎました。新しく思いを興されたこと、早くも三日坊主で挫けてしまったことなど、皆さんの新年はどのような時が流れているのでしょうか。
 去年の年末には、インドネシアで大きな地震と津波が起き、世界の広い地域と国に十五万人以上の犠牲者が出ています。私たちの人生の積み重ねとは、朝起きて、顔を洗い食事をして、家族や友人と会話をしたり、子育てをしたり、仕事を一生懸命し、合間に何かを考えまた寝る。そんな事ではないでしょうか。十五万人の犠牲者にも、一人ひとりに家族がいて仲の良い友人がいて、生きてるという生活の営みがあった事を思うと言葉もありません。
 この世に存在した限り、一人ひとりに人生があります。私にも、そして皆様にも。
平成16年12月

拝啓 師走も半ば、なにかとせわしい毎日です。皆様いかがおすごしですか。
 本年を振り返ると忘れられないのは、やはり史上最多の上陸数があった台風と、新潟中越地震でしょうか。自然災害は、誰の身の上にも起こりうることです。私たちに出来る支援を続けて行きたいものです。
 平成16年は、皆様にとりましてどんな一年でしたか。来る平成17年が、本年以上に皆様にとり掛け替えの無い年になることを祈っております。
 末筆になりましたが、皆様のご厚情に感謝を申し上げると共に、皆様の健やかな日々の生活をご祈念してご挨拶とさせていただきます。
平成16年12月

拝啓 気が付くと、今年最後のお便りとなりました。皆さまいかがお過ごしですか。過日、60歳を過ぎ、病気で入院された方が、こんな詩を詠まれました。『孫を連れ 見舞いてくれる 子等夫婦 残りの幸せ みなやりたしと思う』私たちは、普段何気なく、当たり前に生活しています。人は、歳を重ね、病気などで自分の人生の最後を垣間見た時、果たして何を思うのでしょうか。
平成16年も残すところ一ヶ月となりました。今年一年は、皆さんにとってどんな年でしたか。忙しさの合間に、少し振り返る時間を持つのも良いかもしれませんね。
平成16年11月

拝啓 夜寒が身にしみる今日このごろ、皆様いかがお過ごしですか。台風が続けて上陸し、大きな被害をもたらしましたが、さらに新潟中越地震が起きてしまいました。一時は十万人以上の方々が避難生活を余儀なくされ、三十名以上の方が亡くなりました。そんな中、地震発生四日後に、奇跡的に土砂崩れの中から一人の男の子が救出されました。テレビでその映像に釘付けになった方も多かったのではないでしょうか。そして、あの状況で助かった事実に感動を覚え、生命の神秘を感じた方もいたと思います。被災して亡くなられた方、そして奇跡的に助かった命を目の当たりにして、命の尊さを思わずにはいれません。命の尊さに思いめぐらせながら、復興に向けた力添えをしていきたいと思います。天災は決して他人事ではありません。
平成16年10月

拝啓 台風22号が通り過ぎて行きましたが皆様いかがお過ごしですか。
当山の山伝いに熊野神社という御社がありますが、その山の斜面は、台風の影響で崩れてしまいました。直線距離で100メートル無いと思います。人の被害が無かったようで何よりです。自然の力とは、つくづく凄いと思います。自然災害(台風や地震)が起きると、そのエネルギーの恐ろしさを感じますが、よくよく考えてみると、日常でも自然は凄いのが判ります。太陽は降り注ぎ、植物が育ち、広大な海では魚たちが生きています。何より、人が生きることが出来る環境があるのが凄いと思います。私たちが生きていく上で必要な物は意外に沢山あります。私たちは、生きているのでしょうか。それとも生かされているのでしょうか。
平成16年 9月

拝啓 日差しはまだ夏の影を残しているものの、秋を告げる風情も見えてきました。皆様いかがお過ごしですか。
盆にお檀家さん参りをするのですが、九十歳のおばあちゃんのいるお宅があります。毎回、うん蓄のあるお話が聞けるのですが、今年も伺う事ができました。おばあちゃんいわく、「私は、無理をして辛い人生を歩んできたけど、今は時代が違うから極楽に生きないといけないよ。十人十色で良い人ばかりではないから、なるべく気持ちの良い人ばかりではないから、なるべく気持ちの良い人とお付き合いしてさ。楽しみは、人がこさえてくれるものではないから、自分で楽しいことを考えてさ。何も辛いところを歩く必要はないよ。」というお話でした。私は自分が、ちょうど辛いところを歩んでいたので、このおばあちゃんに会い随分と気が楽になりました。九十年の歳月を生きてこられた方の言葉には、何ともいえない味わいがあります。皆さんは「極楽」に生きていますか。
平成16年 8月

拝啓 猛暑が続きますが、皆様いかがお過ごしですか。
2週間ほど前に福井と新潟で大雨による洪水の被害がありました。
過日、ニュースを見ていたら、その復旧作業が、過酷を極めているようすが写し出されました。そんな中で、なんと小学生がボランティアとして活動していることが、報道されました。最初は、災害に遭い復旧作業をしている方々も「小学生にいったい何を頼めば良いのか?」と内心ある意味で憤慨していたそうです。ところが、実際にはこの小学生ボランティア達は、実によく働き、この地域で役に立ち、無くてはならない存在になっているそうです。私たちは、辛く苦しい時に人の優しさや強さに触れることが出来るのかも知れません。現在は、確かに様々な問題を抱えた時代です。それでも、この小学生達のように、世の中まだまだ捨てたものでは無い気がしています。
平成16年 7月

拝啓 今年も早半年を過ぎました。皆様いかがお過ごしですか。六月に台風が過ぎ去り、また電車が止まる程の大雨が降りましたが、梅雨としては雨が少ない年のようです。そして、暑い日々が続きます。
太古の昔より人類の文明は進化を遂げてきたと言われています。人工衛星で雲の動きを捉え、天気予報する時代ですからね。
先日、とある勉強会で、平安時代の書物を少し読む機会がありました。なんと、その書物の中に、「今の若い人はなっていない」という文章が出ているのです。なんだか、うれしくなってしまいました。少なくても平安時代(千年ぐらい前)から現在と同じことが言われていたのです。生活は、年々便利になっていくようですが、どうやら人そのものは、あまり進化しなかったようです。
皆さんはいかが思われますか。
平成16年 6月

拝啓 吹く風もどことなく夏めいてきました。皆様いかがお過ごしですか。6月15日は、弘法大師空海様のお誕生日です。新緑が生い茂る季節ですので「青葉祭り」として真言宗ではお祝いいたします。
境内でも春になり花が次々と咲き始めると、その美しさに目を奪われます。ですが、ちょっと目線を変えると「青葉」にも、美しさがあります。緑色にこんなにバリエーションがあるのかと思うぐらいに、草や木の種類により緑の色が違います。そこには透明感のある葉脈があり、もっとよく見ていくと一枚一枚の葉っぱが違い、似ているけれど同じものがないのがわかります。新緑や青葉は一枚一枚の葉が集まりその全体の風景を生み出しています。そして、葉自体が主役になる時もあれば、花を引き立てる脇役となるときもあります。
皆さんは、一枚の葉をどのように見て、過ごしてきましたか。
平成16年 5月

拝啓 青葉若葉を渡る風もすがすがしい季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。青蓮寺の境内一面には、フランスマーガレットが咲き誇り、そよ風に揺れています。今年は、初めて「金鎖」という花が咲きました。黄色い藤のような花をつけます。鎖大師という名にちなんで、植木屋さんと信者さんがそれぞれに奉納してくださいました。
 お大師さまが、ご入定される前に弟子たちに向かって書いた「ご遺告」(ごゆいごう)という書物の勉強会に参加してきました。今でいう遺言でしょうか。内容はかなり多岐にわたりますが、その中で「青蓮」のくだりがあり、「青蓮」は慈悲の象徴であるといわれています。青蓮寺とは、慈悲のある寺といったところでしょうか。少しずつ、「やさしさが集まる寺」になることを目指さなくては、と初心にかえることができました。ところで、皆さんは、人にとっての「やさしさ」とは、いったいどんな事だと思いますか。
平成16年 4月

拝啓 お花見のシーズンとなり、なんとなく気持ちも華やいでまいります。皆様いかがお過ごしですか。花が咲き誇り、新緑が芽吹き始める。そんな時期に新しい年度がはじまります。そして、天気が良ければ不思議と思いが叶うような気がしてきます。私たちの生活は、気づくと気づかないに係わらず、自然の営みに左右されています。暖かい穏やかな風土で育った人、一年のうちの殆どを雪や氷と過ごす人、また灼熱の砂漠で生活する人、それぞれに、考え方や価値観が違っていて当たり前です。厳密に言うと、日本の中だけでも、すべての人が異なった環境と境遇の中で生活しています。人は一人ひとり違います。私たちは、身近な人の自分との違いを、どのくらい理解して認めてあげることが出来るのでしょうか。意外に難しいことかも知れません。
平成16年 3月

拝啓 弥生の候、木も花もつぼみをふくらませております。皆様いかがお過ごしですか。
境内の木々を少し移動しました。山門を入ったところに梅を移動し、駐車場に松を、そして、本堂前の梅の向きを変え、少し弱っていたので養生してあります。不思議なもので、庭の木々もふさわしい場所に納まると、違和感が無く、自然な姿でありながら存在感が増したような気がいたします。人の生活を見回すと、そんな木々が少しうらやましくなりました。
平成16年 2月

拝啓 春寒の候、皆様いかがお過ごしですか。当山の写経会が、二月に二十六年目の三百一回を迎えます。大変な年月と時間を積み重ねて来たと実感しています。少なく数えても、延べ一万人の方々がお写経を奉納して下さっています。その思いの深さを考えると、私もすべきことがあるように思えてなりません。何かを想う心は、必ず届き、確かに通じると信じずにはいられません。般若心経の一字には、千里を含むとお大師さまは言われます。
平成15年 12月

拝啓 早や一年の締めくくりの月となりました。
皆様いかがお過ごしですか。
私たちの生活には、幸いにも一年という節目があり、その年を振り返る事ができます。皆さんは、どの位の時を笑顔で過ごしましたか。また、怒り、悲しみましたか。一年の中に、「ありがたかったな〜」という感謝の気持ちは、発見できますか。

私は、一年を振り返ると、沢山の「ありがとう」を思い返すことが出来ます。それは、私にとりかけがえの無い良い時間でした。
今年もありがとうございました。
平成15年 11月

拝啓 いよいよ立冬、冬が駆け足でやってきます。今年も終わりが近づいて来たことに驚きと焦りを感じてしまいます。
ふと外を眺めると野山は冬支度に入り、木々の葉は色づき、また枯葉として大地に散りはじめています。少し寂しい季節なので、10月桜というこの時期に咲く薄いピンク色のとても可憐な桜を、門前駐車場に植えてみました。そんな花を愛でながら、いよいよ青蓮寺初のコンサートが迫ってまいりました。忙しい日常のなかに、自然が育む美しい花と、人が織りなす豊かな音色を味わって頂ければ幸いに思います。
平成15年 10月

拝啓 収穫の秋を迎えました。忙しい毎日をお過ごしのことと存じます。食欲に文化・芸術に運動と秋は過ごしやすい季節のようです。
今年は冷夏でしたが、夏に疲れた体を癒し、冬に向けて準備をする時なのでしょう。コスモスや萩の花を眺めながらのお寺参りも良いかもしれません。ゆったり自然にふれ、本尊様の前で手を合わせてみる。忙しい日常の中から少し離れ、静寂の中に身を置き、いつもとは違った時の流れに、心と体を預けてみてはいかがでしょうか。
皆さんは最近、風の音を聞き、鳥のさえずりに耳を傾け、空に雲が浮かんでいるのを見ましたか。私達は、間違いなく自然の中で生きています。
平成15年 9月

拝啓 日ざしはまだ夏の影を残しているものの、秋を告げる風情も見えてきました。
来る11月16日(日)に、鎌倉寺社めぐりコンサートを企画しているミューズの森さんと共同で、青蓮寺本堂にグランドピアノを運び込み、クラッシックコンサートをいたします。大きいホールに比べ、本物の音楽を身近に聞ける機会になると思います。青蓮寺もお大師様が裏山で修行されてから、約1200年の歴史がありますが、初めての試みです。

当日は、特別に鎖大師様をご開帳して奉納コンサートに致します。演奏者の全力を尽くした演奏とそれを聞く聴衆、本堂という拝む場所が新しい何かを生み出すかもしれません。皆様もふるってご参加ください。
一名3500円です。青蓮寺でもチケットをご用意しております。
平成15年 8月

拝啓 土用明けの暑さひとしお厳しく、皆様いかがお過ごしですか。仏教に「無常」(むじょう)と云う言葉があります。意味は、あらゆる物・存在は変化すると云うことです。

 しかし、すべては変化することが当たり前であると認めて生活するのは、大変難しいようです。この「無常」をよく認識する事が、「苦」を克服する一つの方法とされています。

 皆さんは、どこまで「無常」を認めることができますか。
平成15年 7月

拝啓 梅雨明けも間近です。皆様いかがお過ごしですか。最近、勉強会なので引きこもりや、不登校の子供達に関する話を聞く機会がありました。原因は、親との関係や学校での友人関係・受験と色々あるようです。

ただ、引きこもりや不登校を予防する事も出来るようです。予防には、成長過程で本物の「感動」を味わう事や、心から尊敬・信頼出来る人に出会う事だそうです。

もちろん、その子供にとっての体験ですが・・・。子供達(もしかすると、子供だけではなく、人は誰でもそうなのかも知れません)は、「良き人」に出会うことを必要としています。それでは「良き人」とはどんな人でしょうか。たぶん、このハガキを読まれる方に「悪い人」はいないと思います。

皆さんは、今までの人生の中で、心から信頼し尊敬できる方に出会われましたか。
平成15年 6月


拝啓 あじさいの色の変わりゆく様子に、いろいろな思いをはせています。皆様いかがお過ごしですか。

「苦労は買ってでもした方が良い」といわれることがあります。確かに苦労を乗り越えるという行為は、人を磨き成長させるようです。その反面、苦労が人の心をゆがめてしまうのも事実だと思います。

困難や辛いことに出会った時、どのように乗り越えるかが重要になってきます。もし自分がそのプレッシャーに押しつぶされて駄目になるなら、一時逃げてみるのも選択肢の一つだと思います。(但し、子供や高齢者などの、いわゆる社会的弱者と言われる方には選択肢がほとんど無いかも知れません)

世の中のほとんどの人が、困難や辛い事に出会いながら人生を歩んでいます。皆さんはどのように困難に接してきましたか。
平成15年 5月


拝啓 白いフランスマーガレットの花が、境内一面に咲き誇っています。皆様いかがお過ごしですか。

2月18日からおこなっていた私の50日間に渡る修行ですが、4月8日に無事成満することができました。

最後の5日間、120時間ほど断食をして水だけで生活いたしました。120時間ものを食べないという事が、時間として長いのか短いのか判断はできませんが、その時間の中で実に多くの事を考えたのと同時に、自分の感情が移ろうのを感じました。

食事をしない、栄養を取らないことは、そのまま人の「死」につながるのと共に、5日ぐらいだと食べないでも生きていられます。人の不思議を感じます。

皆さんは、毎日の食事に何を思いますか。
平成15年 4月

拝啓 桜のつぼみもふくらみ春色にわかに深まってまいりました。皆様いかがお過ごしですか。

2月18日から始めた私の修行も残すところ10日程となりました。精進(菜食)・五穀断ちと進んできましたが、この27日からは、二食(【にじき】とよみます)に入ります。朝食とお昼ご飯をいただいてから、午後は食べ物を口に入れません。お釈迦様はこのような生活をされていたようです。

4月8日の正午に修行を終える予定ですが、順調に進めば最後の5日間は断食をする予定です。食事制限をしながら、本尊様を拝む訳です。当然の事として、食事をしないと段々体が弱ってきます。もしかすると本人の意思の力だけでは、乗りこえられないことがあるかも知れません。そんな時に神仏が行者に宿り力を与えてくれると言われています。

普段の生活でも、病気や仕事あるいは恋愛で辛い時の人のやさしさは身に沁みるものです。

4月8日は、花祭りです。お釈迦様をお参りしがてら、現代の修行僧の姿に触れてみませんか。
平成15年 3月

拝啓 春陽の候、日だまりの暖かさが日ごとに増してくる季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。

2月18日から始めた私の修行も無事に20日間を終え、残すところ30日となりました。この14日からは、精進(菜食)にプラスして五穀(今回は米・大麦・小麦・大豆・小豆を五穀としています。)断ちに入ります。

五穀をそれぞれ五悪【貪(むさぼる心)・瞋(いかる心)・痴(おろかな心)・慢(おこたる心)・疑(うたがう心)】にあて、五穀を断つことにより五悪も断てると考えます。普段は何気なく食事をしていますが、五穀を断つと以外に食べるものが少なくなります。ご飯や味噌汁・醤油・パンなどは食べられず、味付けは塩味になります。温野菜とそば粉のアレンジ料理が主食になります。味覚は段々と敏感になっていくようです。

今までは、自分を世間から隔離して修行していましたが、今回は普段の生活をしながら修行しています。例えば高野山にこもり修行だけをしているより、ある意味大変だという事に最近ようやく気づいております。世の中では、実に様々なことが起きています。皆さんは、五悪とどのように向き合っていますか。
平成15年 2月

拝啓 梅の花もほろこびはじめ春の気配を感じる今日この頃です。皆様いかがお過ごしですか。

寶積院の再建並びに納骨堂整備工事ですが、今月の21日に皆様のお陰をもちまして、一応完成の形をとる事が出来そうです。つくづく良くここまで辿りつけたな〜と感慨ひとしおです。

18日にご本尊薬師如来様が修復を終え京都よりお戻りになり、合わせて堂内に仏具を収め荘厳を終える予定です。

薬師如来様は左手に薬壺(くすりつぼ)を持ち、右手は施無畏(せむい)の印を結んでおられます。施無畏の印とは、人の心から恐れる気持ちを取り除いて下さる意味があります。病を癒し恐怖を取り除いて下さる仏様です。どうぞお参りください。

 副住職ですが、様々なことへの感謝の気持ちを込め、18日に薬師如来様の開眼をして、そのまま寶積院で50日間の修行に入る予定にしております。(寶積院に泊り込む訳では有りません)3月・4月のお便りで、何か修行についてお伝え出来るのではないかと思います。
平成14年12月

拝啓 肌を刺す冷たい空気は、時に気持ちを引き締めてくれるものがあります。皆様いかがお過ごしですか。今年も残すところ後一月ほどです。

一年の締めくくりと新年を迎える準備に追われる毎日と思います。「旗」は古来より、神仏や魂の宿るところとして大切にされてきました。寺院でも、本尊様をお奉りする内陣は、必ず「はた」をもって荘厳いたします。そんな意味の有る「南無大師遍照金剛」のぼり旗を来年も境内に奉納いただけます。是非お申し込み下さい。本年が皆様にとりかけがえのない年であることをご祈念申し上げます。


平成14年11月

拝啓 朝夕めっきり冷え込む季節となりました。皆様お元気でお過ごしですか。今年も地元の方々が丹精された菊を寺務所前に飾って下さっています。つくづく美しいと見入ってしまいます。皆様も是非ご覧下さい。

手広山寶積院再建と納骨堂の整備工事だいぶ形が出来上がってまいりました。夢見ていた事が、形になりつつあります。夢は希望と不安のせめぎあいである。と言っていた方がいます。希望に満ちた未来と厳しい現実があります。何とか不安と厳しい現実を乗り越え、希望を現実のものとしたいものです。

現在、京都の仏師の方にお願いして、寶積院のご本尊「薬師如来様」の修復をしています。ご本尊様が百年の時を越え借り住まいであった青蓮寺の本堂から、寶積院へお帰りになり私たちの心の平和を願われます。気がつくともう11月です。寒さに向かう季節となりました。風邪など召しませぬよう、お気をつけ下さい。
平成14年10月

拝啓 きんもくせいの薫る季節となりました。皆様いかがお過ごしですか。高野山奥の院の燈篭堂に「貧女の一灯」と言う灯明があります。

今から約九百年前に、一人の女性が何かを高野山に寄進したいと思い立ち、色々と考えました。しかし、満足に何かを納めるだけのお金が無かったのです。そこで、自分の黒髪を切って売って、そのお金で灯明をともす油を買ってこの奥の院に納めました。髪は女性の命と言われている時代の出来事です。

奥の院では、以来この女性の行動とその思いを灯明の火に込め、絶やすことなく九百年間燈し続けています。その灯明の火を高野山から東京高輪の東京別院まで、神奈川県内の高野山真言宗の青年僧がリレー方式で歩いて運んでいます。

高野山を9月28日に出発し今月の21日に東京別院に着き、その日に行われる万燈万華の法要で点灯される予定です。もちろん私副住職も参加していて、先日三重県と愛知県辺りを歩いてきました。今度は静岡から箱根越えをして、藤沢そして青蓮寺まで歩く予定にしています。その時分燈してもらい、青蓮寺にも運んで来ます。

今月21日の護摩修行とお写経会の内陣の灯明には、この灯火を使わせて頂きます。灯明の光は仏様の智恵を表しています。名もない女性の深い思いから始まり、九百年間受け継がれて来た智恵の光に触れるひと時をお待ち下さい。
平成14年9月

コスモスが風に揺れる風情を楽しむ季節になりました。皆様、お元気でお過ごしですか。手広山寶積院の再建並びに納骨堂の整備工事、8月31日に総代・世話人ご出席のもと、無事に上棟式を執り行うことができました。諸職の方々も非常に和やかにひと時をすごされ、寶積院建設にたいして思いを新たにして頂けたと思います。

去年の9月11日のアメリカ同時多発テロから1年が経ちました。人種のるつぼと言われているパリに住んでいる日本人女性の話です。あのテロ以降、差別や偏見はいけないと頭では解っていても、アラブ系の人に会うと自分の体が硬直するのを感じていたそうです。そんなある日、身ごもった体で3歳になる娘を連れバスに乗っているとカーブでバスが揺れ子供が転びそうになるのを助けてくれたのがアラブ人でした。そして、身ごもっているこの女性に席を譲ってくれたのもアラブ人だったのです。この時、人種という壁を越え確かに一緒に生きている事を感じたそうです。この女性が言われます。「頭で解っている知識が、智恵として体からにじみ出てこなければ意味がないのですね。」
平成14年8月

暑さますます厳しく、しのぎがたい毎日が続いております。皆様いかかお過ごしですか。8月はお盆の月で、ご先祖やご縁のあった方々に思いを馳せ、お偲びし供養する時です。亡くなってから何年も経つのに毎日毎日思い出してしまう方、普段は忙しく中々思い出す時間がないけど何かの折に思い出す方。思い出すと辛いので、普段は無理して忘れている方。人それぞれにご縁のあった方がいるはずです。心ゆくまでお偲びしご供養して下さい。
平成14年7月

夏木立の緑濃く、力づけられるような今日このごろです。皆様お元気でお過ごしですか。手広山寶積院の再建工事ですが、順調に進み現在は、地下室と基礎を造っています。8月のお施餓鬼法要までには、お堂の骨格が出来るのではないかと思います。そろそろ、門前駐車場の整備工事を始めようと考えております。工事が終わり完成すると、使いやすくなったり、雰囲気が良くなったりと、皆様に喜んで頂けると思いますが、如何せん工事中はご迷惑をおかけいたします。

難病と闘う子供達の夢をかなえる運動をしている「メイク・ア・ウィッシュ」という国際ボランティア団体が、白血病で闘病生活を送るアメリカ在住で16歳の少年の夢をかなえる為に、W杯サッカー決勝戦に家族を招待したという記事が新聞に出ていました。夢を実現させた子供達は瞳の輝きが違い、難病と闘う励みになるそうです。「夢」って素敵な響きのある言葉ではないですか。私たちは、限りある人生の中でいくつの夢をかなえ、いくつの夢を応援する事ができるのでしょうか。
平成14年6月

どこからともなく、くちなしの甘い香りがただよってくる頃となりました。皆様いかがお過ごしですか。サッカーのワールドカップも開幕しましたね。世界から一流の選手が集まっていますが、フィールドに立つと、どの選手もかっこよく、そのプレーはまさに芸術的で美しさを感じさせるところがあります。「極める」とはそういうことなのでしょうか。

6月15日は「青葉祭り」、お大師様のお誕生日です。稚児大師様に甘茶をおかけし、お誕生をお祝いいたします。お参りの方に甘茶の接待があります。宝亀5年(774)生まれですので、今年で1228歳にお成りです。多くの方々に祈られ頼りにされているうちに、お大師様は大変な月日を重ねてしまわれました。皆さんはこの積み重ねられた時間に何を感じられますか。
平成14年5月

風薫るさわやかな季節です。皆様いかがお過ごしですか。青蓮寺塔頭、手広山寶積院再建に伴う整備計画、だいぶ進んでまいりました。門前・寺務所の庭・本堂奥の池などかなり様変わりし、明るい空間に成ってきたと思います。是非、お寺にお越しください。
5月3日の暖かく晴れわたる日に、寶積院建設のための地祭りを、総代・世話人の皆様の出席のもと厳かに行いました。いよいよ再建工事が始まります。この度の再建と整備計画におきましても、檀信徒の皆様のご協力をいただき、ありがとうございます。そんな皆様のお姿を拝見いたしますと、つくづく皆様に支えられていることを実感し、感謝の気持ちが涌いてくると共に、何か心が澄んでくる気がいたします。
平成14年4月

お大師さまが高野山奥の院にご入定されたのが、承和2年(835)3月21日(旧暦)と伝えられ、この日を正御影供と言います。当山では毎年4月21日(新暦)にお大師様に感謝を捧げる法要を執り行っています。今年も御影特別護摩を焚き、皆様の厄除け・身体健全・心願成就・交通安全等を祈念いたしました。多くの方の参加うぃいただき、盛大に執り行うことができました。
平成14年3月

浅春の候、皆様お健やかにお過ごしでいらっしゃいますか。気が付くと、もう3月になってしまいましたね。幼かった頃の時間の過ぎ方と、年を重ねてからの時間の過ぎ方は、何だか違う気がしませんか。時は同じ時間を刻んでいるのに・・・。

お寺の境内では、次々と花が咲いています。そんな花を眺めていると、花が何かを伝えてくれるようです。私達が生きているこの世には、心を動かすものがさりげなく存在しています。それは、大切な人の笑顔だったり、野に咲く名も知らぬ花だったり、喫茶店の何の変哲もない絵だったり、通勤途中の駅員さんの爽やかな挨拶だったりします。皆さんは、何に心を動かされますか。
平成14年2月

鬼は外!福は内!節分を過ぎ 皆様いかがお過ごしですか。
私の友人が、どこからかこんな言葉を聞いてまいりました。
「怒るは無知、泣くは修行、笑うは悟り」だそうです。
「笑う角には福来る」と言いますよね。皆さんお一人お一人の人生に当てはまりますでしょうか。
人生は意外に忙しく、些細なことで怒り、人との関係の中で傷つき涙し、また喜びを感じ楽しく笑いがあふれます。

当山の写経会も今月で24年目に入ります。延べ1万5千人ぐらいの方々が、お写経に参加された勘定でしょうか。その中にはきっと、怒りに震えながら、或いは悲しみに耐えながら、お写経された方もいる事でしょう。世の中の全ての方々が、喜びと笑いにあふれますように。
平成14年1月

「春の華、秋の菊、笑って我に向う。」
お大師様のお言葉です。
春の色々の花、秋の菊等、その折々に咲き乱れて吾を慰めてくれる。
あけましておめでとうございます。

1月21日、初大師でございます。鎖大師さまご宝前において
大般若経転読護摩法要を修行いたします。
昔から男の方は25才(昭和53年生)・42才(昭和36年生)・61才(昭和17年生)
女の方は19才(昭和59年生)・33才(昭和45年生)・37才(昭和41年生)61才(昭和17年生)を一代の大厄と云い、その前後を前厄・後厄と云ってこの前後3年の間、厄除祈願をなさるのが習いとなっております。
又、不慮の災いにあったなどと云っていつなんどき災難にあうかも知れません。
お大師様のご宝前のお護摩により、如来さまの智慧の火を以って煩悩(苦の根元)を妬きつくし大厄を消除し、すすんで家内安全・身体健全・商売繁盛・心願成就など開運の祈願を全うなされますよう、おすすめいたします。
特に身近な方で、厄年にあたられる方のご参詣をお待ちいたしております。
どうぞ大般若経転読の功徳を皆様方一人一人充分にお受け頂き、新しい年を心豊かにお過ごしになられますことを祈念いたしております。
平成13年12月

お大師様は御教えの中に「生まれ、生まれ、生まれて生の始に暗く、死に、死に、死んで死の終わりにくらし」とお述べになっていますが、今こそ私達は「いのち」そのものの原点に立ち還って、人生を考え日々の生活に懺悔(反省)と報恩(感謝)の心を持ってゆかねばならないと思うのであります。
足もとより全身へと仏さまの大悲を体感して、御仏の生命によりどころを持ち、
その教えを仰ぎながら「南無大師遍照金剛」の念誦三昧に入って「大師と共に同行二人」の信心を持つことが、心の糧となり、喜びとなって周囲の人々に幸せの輪を広げることになるのであります。
檀信徒大会の折の管長様のお言葉です。
平成13年11月

そろそろ年賀ハガキの売り出しも始まり、年の瀬が近いことを感じます。
皆様いかかお過ごしですか。今年も残すところ1ヶ月半ばかりになってしまいました。
世の中では次々と事件が起き、それにつられる様に私たちの生活も何か落ちつきが無くゆっくり自分を振り返る時間もない気がしています。
そんな中で、今年も石井徳治様・和田芳雄様・石井和行様のご三方が、大輪の菊を届けてくださいました。その美しさに、お参りにいらした方々から感嘆の声が聞こえてきます。
丹精して育てたものが、美しい花を咲かせる。そして人を喜ばすことができる。
なんとも素敵なことです。でもよくよく考えてみると、私たちの生活は、このような出来事で成り立っているのかもしれません。
家族の為に働く事。子供の為に食事をつくる事。一生懸命生きる事。誰かを愛する事。誰かに愛される事。出来れば、人の思いに気付ける存在になりたいものです。
平成13年10月

ここかしこに秋の気配が感じられ、外に出るのが楽しい季節になって参りました。
日本には四季があり、1年ぶりの秋の到来です。
思った以上に爽やかな風が吹き、何処までも澄んだ空気と青空が広がります。

境内では、コスモスが咲き誇り、その美しさが私たちの心を和ませてくれます。世界では飢餓を始めテロ、そして紛争と、幸せとは程遠いことが起きています。私たちの心の中には、一輪の花の美しさに感動し何処までもやさしい部分と、人やものを激しく憎悪する部分がありようです。どちらも人の姿に違いありません。やさしい人が特別な訳でも、争い事をしている人が特別な訳でもありません。
それでも、多くの人が一輪の花の美しさに感動し、人を傷つけることなく、心やさしく日々過ごされる事を願わずにはいられません。
僅かな時間で結構です。ご自身の事、家族や親しい方の事、そして世界中の人々の幸せを祈る時間を秋の爽やかな空気の中で持って頂ければと思います。
平成13年9月

日差しはまだ夏の影を残しているものの、秋を告げる風情も少しずつ見えてまいりました。
皆様いかがお過ごしですか。今年の夏は特別に暑かったですね。また台風もよく来るような気がします。厳しい天気が続きます。
さて今年の秋(9月29日〜11月4日)には
「弘法大師空海と高野山の秘宝展」が横浜そごうのそごう美術館で開催されます。
今まで公開された事のない秘宝が数多く出展されます。
また、10月30日〜11月3日まで
「高野山・四国八十八ケ所の旅路展」は同じく横浜そごう新都市ホールで開催されます。
お四国参りの擬似体験をして頂くと共に、高野山の大伽藍・西塔の秘宝五仏と対面して頂けます。またと無い機会です。お誘い合わせの上、御参加ください。
平成13年8月

じっと我慢の暑さです。負けないで頑張っていらっしゃいますか。土用の丑の日にうなぎを食べたくらいでは、とても乗り切れそうにない感じですね。
禅宗では良く「心頭滅却すれば火もまた涼し」などといわれますが、皆さんはどう思われますか。確かにすごい事ですが、素直に暑い時には暑い、寒い時には寒いというのも大切なことです。同じように楽しい時には楽しく、悲しい時には悲しく過ごすこともまた人生のひと時ではないでしょうか。きっとこのハガキを読まれる方は、日々を頑張って過ごされていることと思います。たまには、肩の荷を降ろし一息つかれてみてはいかがでしょうか。
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